シロの白い朝


 その日、目覚めて屋根裏部屋のカーテンを開けたシロは真下から強い日差しを浴びて目を眩ませた。突然のことに戸惑うシロだったが、恐る恐る目を開けて眼下の光景を見るや、満面の笑みを浮かべた。
「タマモ、タマモ、起きるでござる! 雪でござるよっ!!」
 シロは勢いよく振り返るとルームメイトの妖狐に声をかけた。視線の先の相棒は、シロが開けた窓から入る寒風に身を震わせながら必死で毛布にくるまっている。
「早くこっちへ来て外を見るでござるよ!」
「……うるさいわね、雪なんてどうでもいいから早く窓閉めてよ。寒いんだから」
 目を輝かせて手招きするシロの言葉を一蹴し、タマモは毛布の中で丸くなった。猫は炬燵で……ならぬ狐はベッドで丸くなる。
 その様子を見てシロは呆れたように呟いた。
「相変わらずのグータラ狐でござるな」
「グータラでも何でもいいわよ。私はあんたほど子供じゃないの」
 普段ならここでいつものケンカが始まるところだが、タマモは寒さのため、シロは雪を見た嬉しさのためにそれどころではないようだ。
「先生と一緒に遊んでくるでござる!」
 シロはそう言ってさっさっと着替えると足取りも軽く部屋を飛び出していった。
「……あ、ちょっと! 窓閉めて行きなさいよ」
 毛布から顔だけを出して呟いたタマモの声は虚しく空を切った。



 ドンドンドン! ドンドンドン!
「何だよ、シロか? 今朝は寒いんだから寝かしといてくれよ……」
 ボロアパートの一室で、ドアを叩く音に目覚めた横島忠夫はタマモとほぼ同じ姿勢で毛布を必死でつかんでいた。こんな朝っぱらに部屋に押しかけて来るのなどシロ以外にはいない。シロはほぼ毎朝、こうして横島を散歩に誘いに来るのである。
 ドンドンドン! ドンドンドン!
「ちきしょー、せっかくの日曜日だってのに……」
 更に体をコンパクトに丸めながら、寝言ともつかない悪態をつく横島。往生際悪く耳を塞いで寝返りを打つ。
 ドンドンドン! ドンドンドン!
「わーったよ、出ればいいんだろ、出れば……」
 観念した横島は溜息をつくと、毛布にくるまったまま玄関に向かっていく。
 あと数センチで右手がドアノブをつかむ、というところでドアは真っ直ぐ横島の方に倒れかかってきた。
「うわああああっ!!」



 空が飛べそうなくらい尻尾をブンブンと振り回しながら、シロが玄関に躍り込んでくる。
「先生、外を見るでござ……あれ?」
 部屋の中には空の敷き布団が鎮座しているだけ。お目当ての師匠の姿はどこにもない。
「先生、せんせー、どこに行ったんでござるかあ?」
 布団の下を覗いてみるが、さすがにそこまで寝相は悪くなかったようだ。トイレを開けても誰もいない。いたらいたでややこしいことになりかねないが。冷蔵庫を開けても空っぽ。それは人が住んでいるとさえ思えないくらいに清々しい有様だ。押入まで開けて探すが、中には裸の女性の写真が表紙を飾る派手な色合いの本が積んであるだけである。詳しく描写するとサーバ規定に触れるので割愛する。
「はっ! まさかこれは『みっしつさつじん』というものでござるか?」
 横島、たぶん死んでないし、密室じゃない。テレビで覚えたばかりの言葉を使いたいお年頃なのだろう。
「先生の仇はこの拙者が……」
 ふるふると拳を振るわせながらそう呟く。シロ、思い込み暴走特急。
 そこで玄関を振り向いたシロは、自分が蹴り倒したドアの下から足が二本生えていることに気がついた。何となくピクピクと動いている気もする。
「……」
 さすがにちょっとだけ冷たい汗が流れてくるシロ。
「せ、せんせい?」
 恐る恐る小声でシロが尋ねかけるのとほぼ同時に、ドアが跳ね上がって下から修羅のごとき人間が現れた。
「こおおおのおおおおっ、バカ犬があああああっ!!」
 ゲンコツ!!



「……申しわけないでござる」
 たんこぶを押さえながら正座してひたすら謝るシロに、横島もさすがに怒る気が失せた。この甘さが自分の運命を翻弄しているのだということに気づかないあたりが横島の良い所……なのだろうか?
「もういいよ。で、何だ? 今日は寒いから散歩には行かないぞ」
「今日は散歩はやめにして遊ぶでござる。先生、雪でござるよ!」
 さっきまでの反省はどこへやら、途端に目を輝かせて横島に迫るシロ。
「おっ、雪か。久し振りだなあ」
 シロの言葉に、さっきまで寒さに震えていたことも忘れて外を眺める横島。こうして無邪気に童心に帰れるあたりも横島の魅力……だと思いたい。
「よしっ、公園に行って遊ぼうぜ!」
「はい、先生っ!!」



 朝が早いこともあって誰も踏み込んでいない公園は美しく輝いていた。ふたりはそんな公園にわざとらしく足跡をつけて踏み込んでいく。
 シロは尻尾振りながら公園を走り回っている。
「犬は喜び庭駆け回る……だな」
「狼でござるよっ!」
 いつもの抗議を返しながらもシロの表情は楽しそうだ。
「先生、何して遊ぶでござる?」
「そうだな〜〜……よしっ、でっかい雪ダルマを作るぞ」
 そう言うなり横島は雪をかき集めて丸め始めた。シロも負けじとダルマを作り始める。
「負けないでござるよ!」
「はははっ、雪ん子タダちゃんと呼ばれた俺に適うと思うなっ! 雪遊びなら負けんぞ」
 完全に本気モードの横島である。そもそも雪ん子と呼ばれるような雪国で育っているはずがないのだが、そこは触れてはいけないポイントだろう。いたいけな弟子の夢を壊してはいけない。



「せんせー!」
 シロの叫び声に振り返った横島の視線に白い弾丸が映ったかと思うや、顔面にもの凄い衝撃を受けて横島は吹っ飛んだ。
 いくら脆い雪玉と言え、人狼が思いっきり押し固めて全力で投げればとんでもない凶器となりうる。今の投球を入院中の某・野球日本代表チームの監督が見ていたら間違いなくスカウトしていただろう。それくらいの球速は出ていた。残念なことにシロは女の子なわけだが。
 衝撃音も、普通の雪玉が当たって砕ける時のパサッという軽やかな音などではなかったから、並みの人間であれば死神のお世話になっていただろう。せめてこんな最期は迎えたくないと作者は思う。
 しかし、しかしである。幸い被害者は並みの人間ではなかった。「並みの」を取っ払って「人間」であるかどうかさえ時々疑いたくなるような不死身の男である。
「あ〜〜っ、死ぬかと思った!」
 ガバッと起きあがった横島は顔のどこを見ても傷ひとつついていない。非常識にもほどがある。普通なら顔の真ん中にブ●ックホールのような大穴が空いていてもおかしくなさそうなものだ。「トムとジェ●ー」ならきっとそうなっている。
「こら、シロっ! いきなり何をするんだ!?」
「へへへ〜〜雪合戦でござる」
 横島があんな具合だからシロには反省の色など髪の毛ひとつ見当たらない。
「へへへ〜〜じゃないわい!! 俺は雪合戦で戦死したくはないぞ!」
 アシュタロス戦の英雄が雪合戦で死んだとあっては末代までの恥である。もっとも横島はまだ高校生で当然子供などいないわけだから末代も何もあったものではない。ここで死ねば自身が末代になる。どのみち、この男に限ってその心配は要らない。この程度で死ぬくらいならもう何度死んでいるかわからないのである。



 結局、ふたりはそれぞれに競って巨大な雪だるまを作って公園に鎮座させ、芝生の上に積もった雪の上に寝転がっていた。背中にひんやりとした感触が伝わってくるが、今はそれが心地よい。うららかな冬の太陽が照っているから、この雪もいつまで残っているかわかりはしない。
「先生、気持ちいいでござるな……」
「……ああ、天気いいしな」
「お日様がずいぶん高くなったでござるな」
「ああ、そろそろ昼……ちょっと待て。今何時だ?」
 ガバッと起きあがった横島は公園の時計に目をやった。十一時四十五分を示している。
「なあ、シロ……今日の仕事、何時集合だったっけ?」
 虚しい期待に現実逃避しそうになりながら横島が尋ねた。
「11時半と言っていたでござるな」
 時計を見ていないシロにはことの重大さに気がついていない様子だが、さーっと血の気の引いていく横島の表情に起き上がると時計を見た。
 雪よりも白く脱色した顔を見合わせ、ふたりは同時に叫んだ。
「遅刻だーっ!!」
「遅刻でござるーっ!!」
 慌てて公園を飛び出していくふたり。その背後では二体の巨大な雪だるまがニッコリと微笑んでいた。

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