リポート14  スターバット・マーテル!!


 その日は朝から雨でした。そんな空模様そのままに、一文字さんは一日中ご機嫌斜めでした。放課後になって、事務所へ向かうためにバス停でバスを待っている間も何もしゃべろうとせずにどこか上の空です。
「何かあったんですか?」
 私は思い切って尋ねてみました。
「え、何かって?」
 顔が隠れそうなくらい俯きがちに手にしていた赤い雨傘を軽く上げて私の方を見ながら、一文字さんが聞き返してきました。
「朝からずっと機嫌が悪い理由よ」
 横から弓さんが口を挟みます。弓さんは美神さんの事務所へ向かうのですが、学校からは方向が同じなので、途中までは同じバスに乗っていきます。
「別に、大したことじゃないよ」
 そう答えながらも不機嫌そうな表情は変わりません。それが尚更不安を煽ります。
「私たち、何か気に障ることしました?」
「え? 違うよ。おキヌちゃんも弓も関係ないから」
 少し慌てた様子の一文字さん。
「そうよね。朝、最初に会った時から機嫌が悪そうだったもの。雨だと機嫌がよくないのかしら?」
「そんなんじゃないよ。ただ……」
 ポツリと漏らした後、一文字さんが言い淀みます。
「ただ?」
 私と弓さんの聞き返す声が重なりました。
「ただ、母親とケンカしただけだよ。いつものことだって!」
 一文字さんは口調を速めながらぶっきらぼうにそう言い捨てると、ちょうどやって来たバスにさっと乗り込んでしまいました。
「あ……ちょっと、待ってくださいよ」
 私も慌ててその後を追いかけました。弓さんも溜息をついてその後に続きます。



 事務所に着くと、電話口で横島さんが大声を出していました。
「だから! 何回言えばわかるんだよ。ただの社交辞令ってやつだろ!? 深い意味なんてねーよ! どうしてって……俺だってもう学生じゃねーんだから、そういう付き合いってのもあるんだよ。ああ、六道さんはうちのスポンサーなんだからさ」
 私たちはそっと愛子さんの側に寄って挨拶をすると、小声で尋ねました。
「どなたからですか?」
『横島クンのお母さんからよ。何だかわからないけどさっきからずっとあんな感じなの』
 はあ、横島さんも親子ゲンカですか。
「何だって、おキヌちゃん?」
 ぴくん。横島さんが不意に私の名前を出したので反応してしまいました。呼ばれたわけではないようです。でもつい耳をそばだててしまいます。あれだけ大声で喋っているんだから、盗み聞きにはなりませんよね。
「心配しなくてもちゃんと仲良くやってるよ。……違うって。何でそんな話になるんだ!? 変な邪推してんじゃねーよ! じゃあな、もう仕事に出る時間だから切るぞ! ……わかってるって、俺からもちゃんとお礼言っとくよ」
 ガチャン!
 横島さんはコードレスの子機を叩きつけるようにスタンドに置きました。
「横島さん、どうしたんですか?」
 私は挨拶も忘れて、息を切らしてぜえぜえ言っている横島さんに問いかけました。
「ん? ああ、おキヌちゃん、お帰り。今の、お袋からだよ」
 それは愛子さんから聞きました。
「六道さんが親父たちの所にえらく立派な小包を送ってきたらしくってさ。どういうことだって聞いてきたんだよ」
「そうですか。それで、私がどうとか言ってましたけど……」
「ああ、それで妙な邪推をして、おキヌちゃんとうまくいってないんじゃないかなんて言いやがって」
 六道さんたち、横島さんのご両親を味方につけるつもりですか。……まあ、あのご両親はそう簡単に買収できないと思いますけど。
「あれ、魔理ちゃんも何か機嫌悪そうだね。親とケンカでもした?」
 横島さんはもう電話のことなんて忘れたように一文字さんに話しかけました。それにしても、どうしてこんな時だけ鋭いんでしょうか。
「え……ま、まあ……」
「あ、やっぱり。俺もよくそんな顔してたからな。ケンカしちゃダメだぞ……って俺が言っても説得力ないか」
 横島さんも一文字さんも困った顔で苦笑を浮かべています。
「あ、愛子さん、今日のお仕事はどうなってますか?」
 私は場を取り繕うように愛子さんに尋ねました。
『一件入ってるわね、場所は……』



「小さな女の子の幽霊……ですか」
 横島さんが頭を掻きながら溜息混じりに呟きます。
 依頼書に書かれていた場所に行ってみると、コンクリートで舗装された川岸に白いガードレールが並んでいる、そんな都会のどこにでもある普通の川でした。
「そうなんですよ。今日みたいな雨の日にこの川沿いに現れるんです」と依頼人さん。
「でも今のところ特に被害は出てないんでしょう?」
 何となく困った様子の横島さんに代わって尋ねてみます。
「ええ。しかし、付近の住民が気味悪がっていましてね。それに……」
「雨の日はこの川は増水するからね。例えば、突然その幽霊が生きた子供を川に引きずり込んだりしないとも限らない。幽霊ってのは基本的にこの世に未練を持ってるから、何かのきっかけで悪霊化することは十分に考えられるんだ」
 依頼人さんの言葉を継ぐように横島さんが説明してくれました。あまり乗り気でなさそうな横島さんに依頼人さんがどうしたのかと尋ねます。
「子供の幽霊ってとこがやりにくいんですよね」
 溜息をつきながら横島さんが答えました。私もその意見には同意です。
「できれば優しく成仏させてあげたいですよね」
「美神さんだったら問答無用でぶった切るんだろうけど……」
 横島さんが苦笑まじりに言いました。いくら美神さんでもそんなことはないと思いますけど、そういう考えはプロとして甘いなんて言われそうな気はします。
「確かに、幽霊でも子供を殴りたくはないよな」
 一文字さんも言葉を濁しました。子供の幽霊を避けようとしてスクーターで転んじゃうような優しい人ですから、私たちと同じ気持ちなのでしょう。
「さっきの話と矛盾するようだけど、今のところは悪霊ってわけじゃないしね。成仏するように説得できれば一番いいよな。ここはおキヌちゃんの出番かな……って噂をすればお出ましみたいだ」
 横島さんの視線の先を追うと、水面にぼうっと人影が浮かび上がりました。六、七歳くらいの女の子でしょうか。こちらを向いていないので表情はわかりませんが、片手に掲げた雨傘、おかっぱ頭の上にちょこんと乗った帽子、羽織っているレインコート、何故か片方だけはいている長靴、上から下まで黄色に統一されています。
「横島さん、やってみますね」
 そう言ってネクロマンサーの笛を取り出し、構えました。
「うん、気をつけて」
 横島さんがそういうのを聞いてから、そっと女の子に語りかけるように笛を吹きます。できるだけ優しく、暖かい音色が出るように。
『……?』
 こちらの呼びかけに気づいたのか、女の子は静かにこちらを振り向きました。悲しそうなその表情に胸が締めつけられるようです。
 もうあなたは死んでいるの。だから苦しまないで。成仏するのは怖いことじゃない。消えてしまうんじゃなくて、新しい命をもらってこの世に戻ってくるまでお休みするだけ。
 笛の音色を通して女の子にそう話しかけました。
『ママ……さびし……』
「え……?」
 頭の中に直に響くような声が聞えて、思わず笛を口から離してしまいました。
 女の子は何かを訴えかけるようにこちらを見つめていましたが、やがてすうっと空気に溶け込むように消えてしまいました。
「どうなったんですか?」
 依頼人さんの問いかけに、横島さんは黙って首を横に振りました。
「……」
 依頼人さんも残念そうに表情を曇らせます。
 横島さんは川べりのガードレールの下をじっと見つめながら口を開きました。
「あの女の子のことを教えていただけますか? 知らないってことはないでしょう?」
 横島さんの視線の先には真っ白な花瓶に黄色を中心とした色とりどりの花が挿してあります。色鮮やかな花は雨に打たれて少し萎れてはいるものの、生けてからそれほど日が経っていないようですし、白い花瓶も手入れが行き届いているらしく、目立った汚れが見当たりません。そしてその隣には、小さな黄色い長靴が 片方だけ、寂しげに添えられていました。



 青い雨傘を差した女性が、花束を持ってやって来ます。女性は花瓶の前にしゃがみ込むと、挿してあった花を抜き取り新聞紙にくるみました。そうして代わりに持ってきた花束を花瓶に生けていきます。それが済むと、女性は静かに手を合わせました。
「こんな雨の日でもいらっしゃるんですね」
 横島さんが後ろから声をかけると、女性は下げていた頭を起こしてこちらを振り返りました。とても寂しそうな表情でした。
「雨が降っているからこそ、ですよ」
 女性は抑揚のない声でそっと呟きました。
「久美ちゃんが亡くなったのも、こんな日だったんですか?」
 風の強い、こんな雨の日にその女の子、久美ちゃんは増水した川に落ちて溺れたのだそうです。たまたま人通りがなく、助ける人もいませんでした。目撃者がいないのではっきりしていませんが、差していた雨傘が風に煽られて川に転落したのだと考えられているようです。
 私が尋ねると、女性は表情を更に曇らせて俯きましたが、やがて答える代わりに訝しむような顔でこう呟きました。
「あなた方は一体……」
「ゴーストスイーパーです。娘さんの除霊を依頼されました」
 横島さんが努めて冷静に告げたその言葉に、女性はびくりと肩を震わせて目を見開きました。
「あの子を、退治するというんですか!?」
 女性が横島さんに掴みかかりそうなくらい詰め寄って声を荒げます。
「退治じゃありません。還るべき処へ還る、そのためのお手伝いをするだけです。生きている人に害を与える悪霊なら強制的に除霊することも考えますが、娘さんは成仏できずにただ彷徨っているだけです。ですから手荒な真似はしたくありません」
 横島さんは女性の剣幕にも動じない素振りを見せて淡々と説きました。
「だったら放っておいてください! 誰かに迷惑がかかっているわけではないんでしょう!?」
「あくまで今のところは、です。いつ悪霊に変わるかわからない、浮遊霊ってのはそういう不安定な存在なんですよ。それに……あの子が何故成仏できないかわかりますか?」
 横島さんが問いかけると、女性は考えるまでもないという風に即答しました。
「まだ死にたくなかったからでしょう!? 久美はまだほんの子供だった……」
「それもあります。でも一番の理由は、あなたがいつまでもそうして泣いているからですよ」
「……!」
 女性は口ごもりました。何を言われているのかわからないようにも見えます。そんな女性の様子を認めて、横島さんが説明を続けます。
「仏教では、親より先に死んだ子供は賽の河原で石を積むと言われています。何故そんな罰を受けねばならないかわかりますか? それは先に死ぬことによって親を悲しませることが罪だからです。言い換えれば、子供を失った親がそのことを悲しんで泣いているうちは、その子の罪が許されることはないんですよ」
「だって……そんなこと、そんなこと……」
 女性の視線が行き場をなくしてふらふらと彷徨います。私はいたたまれなくなって女の子がさっき言った言葉を女性に伝えました。
「私が成仏するように語りかけたら、あの子はこう言ったんですよ。『ママが寂しがってるから』って」
 それを聞いて女性は悲しげに俯き、その場にしゃがみこんでしまいました。
「私が……あの子を苦しめていたんですか」
「今からでも遅くはありませんよ。笑ってあの子を送り出してあげましょう」
 横島さんが差し伸べた手を躊躇いがちに見ていた女性でしたが、やがてこくりと頷いて横島さんの手を取って立ち上がりました。
「じゃあ、おキヌちゃん、お願い」
「はい」
 私はネクロマンサーの笛をそっと口に当てて吹きました。どこかにいる久美ちゃんに呼びかけるように。ママが呼んでいるわ。久美ちゃんとお話ししたいって。



 川の上にかすかな霊気が発生したかと思うと、やがてそれはすぐに人の形を取り、さっきと同じ小さな女の子の姿になりました。
「久美……」
『ママ、やっと泣き止んでくれたんだね』
 久美ちゃんはにっこりと微笑みながらそう言いました。
「ええ。久美、心配かけてごめんなさいね」
『ううん、わたしこそママを悲しませちゃってごめんなさい』
「久美は何にも悪くないのよ。そんなことより、あなたに言わないといけないことがあるの」
 すると久美ちゃんはきょとんとしながらもお母さんに問いかけます。
『なあに、ママ?』
「あなたがいてくれて幸せだったわ。お別れはとても辛かったけれど、それで幸せな思い出がなくなるわけではないものね。だから……」
 女性はそこで言葉を切ると久美ちゃんをじっと見つめ、それから優しく微笑んで言いました。
「だから私の、私たちの娘に生まれてくれてありがとう」
『わたしもママの子に生まれてしあわせだったよ。だから、おとうとかいもうとが生まれたら、その子たちもきっとしあわせだと思うの。だから、その時は大切にしてあげてね』
「そうね、きっとそう。約束するわ」
『じゃあ、もう行くね。おねえちゃんたちも、ありがとうね』
 久美ちゃんは私たちの方に視線を向けながら微笑みました。
『ママ、ばいばい。パパによろしくね』
 そういって淡い光を放ちながら空に上っていく久美ちゃん。お母さんは手を振りながら見送っていました。私たちも一緒になって手を振っているうちに、久美ちゃんは曇った空に溶け込むように消えていきました。



「こういうやり方もあるんだね。戦うばかりがGSの仕事じゃないんだ」
 一文字さんが空を見上げて手を挙げたままで言いました。
「あ、雨が上がりますよ」
 雨だれがアスファルトの歩道を打つ音が少しずつ弱くなっていき、ついには聞こえなくなりました。それから雲の隙間から一筋の光が漏れたかと思うと、光の筋は数を増して、空に広がっていきます。
「あ、あれ虹じゃない?」
 一文字さんが指差す方向を見ると、まさに鮮やかな虹が空を横切っていました。
「久美ちゃんも、あの橋を渡って天国へ行ったんでしょうね」
「そうだね……」
 一文字さんはそう呟いてしばらく何かを考え込むようにしていましたが、
「やっぱり、あたし母さんにちゃんと謝るよ。言い過ぎたって」
「そうだな、俺もお袋に……電話くらいするかな。まあ、心配すんなってさ」
 一文字さんの言葉に同意するように横島さんが言いました。私はそんなふたりを見てクスリと笑いました。
「それはさておき……」
 不意に横島さんが虹を見ていた視線を落として言いました。
「久美ちゃんも弟か妹を欲しがってたことだし。奥さん、僕でよろしければお手伝いしますよっ!」
 パン! ボクッ! バキッ!
 私と一文字さん、それに久美ちゃんのお母さんの平手や拳が横島さんを捉えました。
「うちには主人がいますから、間に合ってます!!」
「横島さん!!」
「あーあ、せっかくの感動が台無しだよ……」
 一文字さんも呆れたように言いますが、その口調はどこか和らいでいました。横島さんは殴られながらも、空を見上げて苦笑いとも照れ隠しともつかない微笑みを浮かべていました。



 翌日の一文字さんは朝からご機嫌でした。
「何かいいことでもあったんですか?」
 鼻歌なんか歌って嬉しそうな一文字さんに聞いてみました。
「え、まあ……ね。あの後、家に帰ってから親に謝ったんだよ」
「仲直りしたんですね。良かった」
 そこで、ふと気になったことを訊いてみることにしました。
「あの……どうしてケンカしたのか、訊いてもいいですか?」
 すると、一文字さんは恥ずかしそうに頭を掻きながらポツリと言いました。
「ジャム……」
「はい?」
「あたし、朝はいつもトーストにブルーベリーのジャムをつけて食べるんだ」
「はあ」
 それとケンカとどういう関係があるんでしょうか。
「で、一昨日の朝さ、全部使い切っちゃったんだよね」
「……」
「なのにさ、うちの母親ったら新しいの買ってくるの忘れたみたいで、昨日の朝、ジャムがなかったんだよ。あたし、朝はいつも眠くて機嫌が悪いからさ、つい……」
 怒鳴ってしまったのだそうです。
「それだけなの?」
 弓さんが呆れたように呟きました。
「それだけってね、あたしにとっては一日を気持ちよく始められるかどうかの大事な問題なんだよ! なのにさ、うちの母親と来たら、あたしが怒ってるのに『あらあら、ごめんなさいね』なんてニコニコ笑いながら謝るばっかりだから、ますます腹が立っちゃって」
 何でもケンカと言っても一文字さんが一方的に怒鳴り散らしていただけなんだそうです。昔からそうやっていつも笑ってばかりでさ、なんて一文字さんが苦笑しながら言っています。
「で、でも、仲直りできて良かったですね」
 すると、一文字さんは照れくさそうに指で鼻を擦りながら言いました。
「昨日の仕事があんなんだったろ。だから帰ったらすぐ謝ろうと思ったんだよ。そしたら母さんがブルーベリージャムの入ったスコーン焼いて待っててさ。ホント悪いことしたなあって思っちゃって」
「いいお母さんですね」
「本当に。一文字さんにはもったいないくらいだわ」
「どういう意味だよ、それは!?」
 雨が降った翌日の清々しく晴れた、そんな1日でした。

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