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「ミヤマエ……何だって?」
航太郎が間の抜けた声で聞き返すと、和水はゆっくりとその名前を繰り返した。
『宮前梓紗(みやまえあずさ)、でございます。ご存じではありませんか?』
声の裏に安堵とも落胆とも取れない抑揚があった。聞き返すくらいだから知っているはずがないと思ったのだろう。航太郎がその人物を知らないとして、それが和水にとっては吉報なのか凶報なのか。
「宮前……梓紗」
丁寧に漢字まで教えてくれたその名前を声に出して復唱した。聞いたような名前だったし、その名を発音する口の動きには覚えがあるような気もする。しかし、航太郎たちの村の近辺に宮前という家名はなかったはずだ。
「宮前梓紗……」
もう一度繰り返してみる。しかし、記憶の底からは何かが浮かび上がってくる様子はなかった。
「ごめん、やっぱり思い出せないや」
『……左様ですか。いえ、お心当たりがなければよいのです。遅くに失礼いたしました。おやすみなさいませ』
和水の声はいつもより少し明るいくらいだったが、それが逆に作っているような印象を抱かせた。航太郎を不安がらせたくないのだろう。だから、航太郎は執拗に追及するのは避けて明るく声をかけた。
「また明日ね」
『ええ、また明日』
その返事の余韻が航太郎の耳にはやけに重く響き、このまま和水がどこかへ消えてしまうのではないかと思った。
翌朝、教室の入り口で立ち止まり、自分の席に視線を向けると、普段通り和水が隣の席に座って本を読んでいた。
航太郎はその姿を見て安堵の息をつき、ゆっくりと自分の席へ向かった。
「おはよう、和水さん」
「おはようございます、航太郎さん」
和水の様子はいつも通りのようだった。
昨日の電話の別れ際に感じた不安は取り越し苦労だったのか、航太郎はもう一度そっと息をついて、席に着いた。
鞄から教科書とノートを取り出し、机の中に押し込む。
「あれ……?」
空だったはずの机の中で何か異質なものが手に当たり、思わず声が漏れた。
和水が訝しげにこちらに目を向けたが、「何でもない」と苦笑いでごまかす。
異質と言っても、別にぬるっとしていたとか、もこもこの毛むくじゃらの物体だったとか、そういうわけではない。材質で言えばおそらく普通の紙。大きさから判断すれば封筒といったところ。問題は、そんなものを机に入れておいた覚えはないということだった。
考える前に取り出してみたほうが早い、航太郎は教科書類と入れ替えに机の中の物体をそっと引っ張り出した。
机の中から出てきたのは予想に違わず白い和封筒。丁寧に封がしてある。筆ペンで「天神航太郎様」と宛名が記されている。宛先間違いの手紙ではないようだ。裏返してみても差出人の名は書かれていない。字体から察するに女性からのものだろう。几帳面な筆跡だ。しかし、ラブレターにしては色気がない。
「おっはよう、航太郎君! 今日もいい天気だね!」
「わひょうっ!」
自分で聞いてもおかしな叫び声を上げて、反射的に封筒を机の中にねじ込んだ。
「どうしたの? 朝から大声出して」
今度は、外のぽかぽか陽気を具現化したような声が呆れ気味に航太郎に問いかけた。
見ると、航太郎の声に驚いて少し引いている咲季と、何事もなかったかのように微笑む桂子が並んでいた。
「あはは……航太郎君って私が声かけるといつも驚くよね」
咲季が決まり悪そうに言った。
「そう思うんだったら、もう少し普通に声かけてよ」
今回の場合、過剰な反応になったのには手紙のことも原因だが、そもそも不意打ちで声をかけてくる咲季にも問題があると思う。
「だって朝は元気よく、でしょ」
だから、その「元気よく」をもっと穏健な方向でやってくれと言っているのだ。
「で、机の中に何か気になるものでもあるのかな?」
うっ、鋭い。航太郎は必死の努力で動揺を気取られないようにした。それでも冷や汗が流れそうになる。
咄嗟に隠したのを見られたのだろうか。手紙のことを知られたら話のネタにされるに決まっている。航太郎自身のことはいい。いや、本当は良くないが、それ以上に手紙の差出人に迷惑がかかっては申し訳ない。幸いに、具体的に手紙とまでわかってはいないらしい。
「ええと、ほら、二限目の数学の課題のプリントだよ。咲季ちゃんはやってきた?」
興味津々で近づいてくる咲季が不意に立ち止まった。苦し紛れのごまかしだったが、咲季には思いの外に効果があったようだ。
「ああっ、すっかり忘れてた! ねえ、桂子、プリント見せて。お願い」
慌てふためいて小柄な幼馴染みに縋りついている。
「またなの? 宿題は自分でやらないとダメよ」
「そんなこと言わずに。お願い。お昼にデザート奢るから」
二人がそんなやり取りをしている隙を見て、航太郎は手紙を上着の内ポケットに忍ばせた。
一限目の授業が終わった後、必死の形相で桂子のプリントを写す咲季と橋本を後目に航太郎はそっと教室を抜け出した。
人通りの少ない屋上へ向かう階段の踊り場まで赴き、ドキドキしながら手紙の封を切る。
中には三つ折りの白い便箋が二枚。ただし、文字が書かれているのは一枚だけ。そんなところまできっちり作法に則っている辺り、差出人の人柄が偲ばれる。
ペン書きの文字は縦書きで、きわめて簡潔だった。
『お話ししたいことがございます。月曜日の放課後に図書館の裏庭へお越しください。お待ち申し上げております』
封筒と同様に几帳面な筆跡で書かれているものの、やはり差出人の名前はない。また、呼び出しの理由についても記されていなかった。
白い和封筒に縦書きの手紙、更に丁寧な文面から思い浮かぶ人物といったらやはり。
「和水さん……かな。それなら机に手紙が入っていたのも納得できるし」
考えてみれば和水がどんな字を書くのか注意して見たことがないから、筆跡で判断することもできないのだ。
気になるのは「月曜日の放課後」という記述だった。その書き方から察するに、この手紙が航太郎の机に入れられたのは今日ではない。とすると、考えられるのは金曜日の放課後、航太郎たちが帰った後だ。それ以前に入っていたのに気づかなかったということはないだろう。
そしてその日の放課後、和水は航太郎たちと一緒に学校を出たのだ。別れた後に学校に戻って来なければ手紙を忍ばせることはできない。
「それともやっぱり今日の朝入れたのかな? 金曜日に入れ損なっただけかもしれないし」
既に航太郎の中では手紙の主は和水という方向で固まりつつあった。で、わざわざ図書館裏という人気のない場所に呼び出す用件とはいったい何だろうか。
転校直後だったら迷わずこう考えただろう。航太郎を抹殺するつもりだ、と。
旅人の忠告もあるから、その可能性もちらりとは考えた。しかし、人気がないと言っても日没前の学校だし、裏庭は図書館の窓からも見渡せる場所なのだから、和水が凶行に及ぶことはないと断言してもよい。そもそも、そんな意図を持っていることさえ疑わしかった。
いずれにせよ、放課後になってみればわかる。航太郎はすっかり呼び出しに応じるつもりになっていた。
そして放課後。
暗殺の可能性を排除して、代わりに思い浮かぶのは嬉し恥ずかし青春まっしぐらの一場面だったから、航太郎は少しドキドキしながら図書館の裏庭へ向かった。
そこにはまだ人の姿はなかった。手紙には「待っている」と書いてあったのだが、航太郎が教室を出る時にはまだ和水は残っていたから、こちらが先に着くのは当然のことだった。
しかし、仮に和水の用件が想像通りのものだったとして、自分はいったいどう答えるつもりなのだろうか。
航太郎が鬼、それも今時珍しい純血の鬼であること自体は別に構わない。天神家は日本中探しても数えるほどしか残っていない純血の鬼の家系だが、一般人との混血をタブーとしているわけではなく偶然の結果だ。だから、航太郎が人間と付き合っても何ら問題はない。
しかし、相手が藤崎和水となるとどうなのだろう。鬼斬りかもしれない、あるいは本人がそうでなくても鬼斬りの家系の出かもしれない少女をガールフレンドにした場合に、天神家の当主でもある祖父が認めてくれるだろうか。
……案外気にしないかもしれないな。和水は美人だし、むしろ喜ぶかもしれない。
なんだ、別に何も問題はないじゃないか。航太郎は意味もなく安堵の溜息を漏らす。
『航太郎さん、初めてお会いした時からお慕い申しておりました。私とお付き合いいただけませんか』
『僕も一目見た時から夜も眠れないくらい和水さんのことばかり考えていたんだ。僕のほうからもお願いするよ。僕と付き合って欲しい』
夜も眠れなかったのが恐怖のせいだということなどすっかり頭にない。今日も絶好調の航太郎だった。残念だが、これに張り合えるのは橋本くらいしかいるまい。
が、航太郎と橋本の違いはリバウンドの有無である。たった今自分が考えていたことを思い返した航太郎の顔が、ボンッと音が鳴りそうな勢いで真っ赤になった。橋本だったら自分の妄想で恥ずかしがったりはしない。
何を勝手に話を進めているんだ? こんな場所に呼び出す理由を他に思いつかないからって妄想が暴走するにも程があるではないか。バカか、バカだろう、バカに決まっている。
人気のない裏庭で独り顔を真っ赤にしてわたわたしている航太郎の姿は、極めて不審だった。その時図書館の窓際に人影がなかったのは幸いと言える。
ざっざっ。砂利を踏みしめる足音が聞こえた。それを聞いて我に返った航太郎は咄嗟に建物の陰に身を潜める。火照った顔は真っ赤になっていると自分でもわかったから、そのまま和水と顔を合わせるのが恥ずかしかったのだ。
足音が止まってからそっと顔を出して様子を窺うと、裏庭で一際大きな木の陰にセーラー服がちらりと見えた。
航太郎は大きく深呼吸をしてから、隠れていた場所から出て行った。こちらに背を向けているため、木陰からの反応はまだない。ゆっくりと航太郎が歩き始めると、足下の砂利が軽い音を立てた。それでようやく木陰の少女が身じろぎをした。
……あれ?
航太郎は思わず立ち止まった。ちらりと見えたセーラー服の上に乗っていたのが、予想していた長髪ではなく肩口で切り揃えたおかっぱ頭だったからだ。
今日もいつも通りのストレートロングだったよな。今の短時間に切ったなんてことはないよな。航太郎は尚もそんなことを考えるが、すぐに少女のほうが木陰を出てこちらへ顔を向けたことで勘違いを認めざるをえなかった。
まったく記憶にない顔立ちだった。好奇心旺盛にくるくる動く咲季の目とも、一見夢でも見ているような桂子の目とも、ましてや優しく航太郎を見つめる和水の目とも違った、意志の強そうなまっすぐな瞳が航太郎を見つめている。まっすぐ揃えた前髪は手紙の几帳面な筆跡を思い起こさせた。そして愛想笑いの欠片もなく横一文字に引き結ばれた口元が、航太郎に対しておよそ好意的な感情を持っていないことを如実に表していた。
ではいったい、どんな用事があって呼び出したのだろう? 航太郎は右手に持っていた白い封筒をまじまじと見返した。まさか果たし状ということもあるまいが。
「や、やあ、これをくれたのは君……なのかな?」
おずおずと少女に問いかける。こんな人通りの少ない場所で可能性は低いが、ただ通りがかっただけかもしれないし、別の待ち合わせをしていたのかもしれない。
しかし、少女は航太郎に視線を定めたまま、無言でこくりと頷いた。
「え、えっと、僕が天神航太郎、なんだけど……人違いじゃないよね?」
探るように航太郎が尋ねると、ようやく少女が口を開いた。
「相違ございません。私(わたくし)がお呼びしたのはあなたです」
小柄な体格の割に低く重い声だった。おそらくは作った声なのだろう。口調が丁寧なだけに何とも言えない迫力があった。
「そ、そう。用件を聞く前に名前を教えてくれないかな?」
「……室見涼子(むろみりょうこ)と申します」
渋々といった口調で少女が言った。本当なら「お前に名乗る名などない」とでも言いたげな感じだった。
この見覚えもない女の子に恨みを買うようなことでもしたのだろうか。記憶を探っても何も出てこない航太郎だった。
「それで、話って何かな?」
すると、室見涼子は鋭い目を更に危うげに輝かせて航太郎を見据える。
ぞくり。航太郎の背筋に悪寒が走った。
唐突にわかってしまった。たびたび感じた冷たい視線の正体が目の前にいるこの少女だったことに。
「繕っても無駄です。あなたの本性はお見通しですから」
航太郎は聞こえた言葉の意味を理解できずに目を丸くして室見涼子を見つめた。
本性? 何を言っているんだ、このコは?
定番の喩えだが会話をキャッチボールだとするなら、相手が何故か上空高く投げたボールが太陽を背にして百舌(もず)落としといった感じだった。普通なら何でもないフライ球なのだが、咄嗟にやられると目が眩んで取れない。
しかし、室見涼子は冗談を言っているつもりはないらしく、あからさまに不機嫌そうな目つきで航太郎を睨んでいる。明確な敵意がその双眸に浮かんでいた。
ずいぶん遅れて航太郎は理解した。自分に向かって「本性」などという言葉を使うなら、その意味するところは一つしかないはずではないか。
つまり、鬼だとばれている。
そして、それを指摘するこの少女もまた鬼斬りということにはならないか。
迂闊だった。
和水の他に鬼斬りがいないという確証などどこにもなかったのに。
そして、和水に航太郎を殺す意志がなかったとしても、他の鬼斬りもそうだとは限らない。和水は鬼斬りの中でも特殊な例外かもしれないのだ。室見涼子は間違いなく航太郎に敵意を持っていた。
見たところ室見涼子は武器になるような物は持っていない。しかし、わかるものか。ポケットから手裏剣だの苦無(くない)だのを取り出して攻撃してくるかもしれない。鬼斬りみんなが和水の薙刀のような正攻法を使うとは限らない。
それにしても。
どうしてこう不用心なんだろう。航太郎は今ほど自分の楽天的な性格を呪ったことはなかった。和水が好意的に接してくるせいで、危機意識がなくなっていたようだ。元々、鬼斬りなんて昔話の中の存在だと思っていたのだから、常日頃から警戒して過ごす習慣など身についていないのだ。
ああ、もう僕、ダメかもしれない。父さん、母さん、先立つ不幸をお許しください。
逃げ切れるだろうか。背を向けた瞬間に首筋を射貫かれるかもしれない。大声で助けを求める? これまた口を開けた途端に串刺しにされるかもしれない。こんな場所を指定したのだ。逃がさないだけの用意はしているだろう。
結局、航太郎が取った行動はそのどちらでもなかった。
もはや恥も体面もすべて捨て去った航太郎は電光石火の勢いでその場にひれ伏したのだ。意気地なしと笑わば笑え。
「お願いします! 命ばかりはお助けを!」
「え、え?」
目の前数センチのところに地面がある今の状況で表情をうかがい知ることはできなかったが、室見涼子の声には明白な戸惑いの色が滲んでいた。鬼が逃げも隠れも抵抗もせずにいきなり命乞いを始めるなどとは、さすがの彼女にも予想していないことだったのだろう。
「人に危害を加えるような真似は決してしません。そりゃもう神に誓って! だから、だから……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私がそんなにアブナイ女に見えるっての!?」
「そ、そういうわけでは。とにかく、どうか命ばかりは……お願いします、室見様」
「はあっ!? 室見様? 何の芝居……って、そうじゃなくて、人を人殺しみたいに言わないでよ」
ぴたっ。航太郎は血が滲みそうな勢いで砂利敷きの地面に擦りつけていた額を止めた。今、何と言った?
「……人殺し?」
「だから、殺さないって言ってるでしょ!?」
ムキになって否定する室見涼子の声からは、さっきまでの威圧感はなくなっていた。
しかし、航太郎が反応したのは「殺し」という単語ではない。むしろ「人」という単語の方だ。鬼を平気で殺戮する昔話の鬼斬りは、鬼を「人」としては扱わないと聞かされたものだ。だから、「人殺し」などという言葉は決して使わないと。だって、自分たちが殺すのは「人」ではないのだから。
「も、もしかして、勘違い?」
おそるおそる顔を上げた航太郎の視界に飛び込んできたのは、憤懣やるかたないといった表情の室見涼子だった。
「私があなたを殺しに来たと思ってるんだったら、勘違いも甚だしいわ。失礼にも程がある。だいたい、どこからそんな発想が出てくるのよ」
自分の奇行が急に恥ずかしくなった航太郎は、そそくさと立ち上がり、膝に付着した埃を申し訳程度に払った。
「その……ごめんなさい」
素直に頭を下げて謝る。
「まったくだわ。確かにあなたのことは気に入らないけど、ただそれだけの理由で殺すほど後先考えない人間じゃないわよ」
腹立たしげな室見涼子の口調は、和水に似た丁寧なものからいつの間にかごく普通の女の子のものに変わっていた。おそらくこっちが地なのだろう。
「あのさ……僕が気に入らないって、どういうこと? 室見さんとは初対面だよね? ……違ったかな?」
「ええ、そうよ。こうして顔突き合わせるのは初めてね。できれば最後にしてもらいたいわ」
「だったらどうして……」
わけがわからず首を傾げる航太郎を室見涼子がイライラした様子で見据える。
「ああ、もう。そのことで呼び出したのよ」
それからコホンと咳払いをして息を整え、室見涼子は言った。
「今後、お嬢様に近づかないでいただけますか?」
……え? 相変わらず予想外の言葉に弱い航太郎だった。
「お嬢様って……」
「和水お嬢様に決まっています。あなたは他にお嬢様と呼べるような方をご存知なのですか?」
ずいぶん強気な発言だった。しかし、言われてみれば確かにそうだ。桂子はともかく、咲季ではかなり無理がある。和水以上に「お嬢様」という呼称が似合いそうな人物は、少なくとも航太郎の周囲にはいなかった。
「えと……室見さんは和水さんの知り合い?」
念のために確認する。「お嬢様」なんて呼んでいるからには藤崎家の関係者だとは思うのだが、一方的なファンということも考えられる。
「私のことはどうでもいいの。ともかく、お嬢様に近づかないで。あなたの本性はお見通しなの。お嬢様に手を出そうものなら承知しないわよ」
イライラが募っているのか、せっかく戻した丁寧な口調も長続きしなかったようだ。航太郎としては口調などどちらでも構わないのだが、質問をさらりと受け流されたのは少し悲しい。
それはともかく、本性ってそういうこと? それで事あるごとに冷たい目で睨まれていたのか。咲季の予想的中。ただし、女の子というのは予想外だったろうけれど。
とは言え、納得できるものではない。だいたい、そんなろくでもない男と思われていたというのはちょっとばかり心外だ。
「あのね、近づくなって言われてもクラスじゃ隣の席だし、和水さんのほうから話しかけてくれることだって多いんだよ。だいたい、室見さんにそう言われたからって『はい、そうですか』って従う理由なんてないと思うんだけど」
命の危険を感じれば怯えて竦むこともあるが、航太郎は決して気が弱いわけではない。見ず知らずの女の子に言いがかりをつけられて、黙って引き下がるほど素直な性格でもない。当初は和水と関わり合いになるのを避けようとしていたことなどすっかり忘れていた。
「あなたが現れてからというもの、お嬢様には悪影響ばかり。私が心を込めてお作りするお弁当を要らないなどと言い出すし」
ああ、あのお弁当はこのコの手製だったのか。ということは高校生にして藤崎家のお手伝いさんなのだろうか。そんなことを考えている間にも涼子の言葉は続く。
「どこの誰ともわからない連中と映画など観に行くし。だいたい、最近のお嬢様は浮かれ過ぎなのよ。あなたの外見に騙されているに決まっています。これ以上お嬢様を……」
「涼子さん、そこで何をなさっているのです!」
航太郎に対する非難なのか和水に対する愚痴なのかわからなくなってきた涼子の言葉は突然の闖入者に妨げられた。
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