第4章  夕焼けの記憶(後編)


「さっきはごめんなさい。少しからかい過ぎたわ」
 苦笑いを浮かべて謝る咲季。表情を見ている限り、本当に反省しているのかどうか怪しいところだが、あれほど困った顔をしていた和水が何故だかにこにこ微笑んでいるので、航太郎がいつまでもへそを曲げていては格好がつかない。
「お詫びにほら、ドリンク飲み放題だから遠慮なくどうぞ」
「……って待て! それは俺の奢りだろうが」
 橋本が咲季の発言に食ってかかる。
 現在、一同は昼食を取るべくファミリーレストランにいた。朝の決定通り、橋本には全員分のドリンクバーを奢るという処罰が科せられることになった。航太郎と和水の二人としては、たかだか五分の遅刻に対してこれは厳罰に過ぎる気がしたが、咲季や桂子に言わせれば、今まで三人で出かけるたびに遅刻を繰り返してきた報いなのだそうだ。
 ならば奢るのは咲季と桂子の分だけにしてはどうかと、航太郎も和水も提案したのだが、今度は橋本のほうが歓迎の意味も込めて奢ると言って聞かなかった。そうして航太郎に奢る以上、和水だけ外すわけにはいかないと。妙に義理堅いところがある。
「にしても、中洲ってホント、フランスの映画とか好きだよな」
 グラスに満たしたコーラをストローで飲みながら、橋本が言った。口ぶりから察するに、咲季や桂子と一緒に映画を観るのは初めてではないようだ。
「桂子はヨーロッパの映画が好きなのよ」
 咲季が航太郎と和水に向けて補足説明を入れる。
「へえ。確かにハリウッドのアクション映画とかホラー映画とか観そうにないもんね」
 航太郎が言うと、
「そう? ホラー映画は好きよ」
 桂子が、カプチーノの入ったカップを手にしたまま答えた。
「意外だろ」
「ああ」
 航太郎が相槌を打つと、橋本はそうじゃないとばかりに小さく首を横に振りながら言った。
「いやさ、ホラー映画ってのは怖くなきゃ面白くないだろ。中洲は何観ても怖がらない気がしないか?」
 ずいぶんな言いようだが、妙な説得力があった。
「天神君、どうしてそこで頷くのかしら」
 桂子はいつもと変わらない微笑みを浮かべていたが、何故か一瞬恐怖を感じた。
「え? 頷いてなんかいないよ。ホントだよ」
 背中を冷たい汗が伝うのを感じながら、航太郎は苦しい弁解を試みた。
「いいじゃない。橋本君の言っていることにも一理あるんだし。桂子が怖がってるとこなんて、十数年の付き合いの私でも見たことないわ」
 咲季が口を挟むと、桂子が不満そうに声を上げる。
「咲季ちゃんまで酷い。そんなことないもの」
「あ、そうか。悲鳴を聞くのが楽しいんだ」
 橋本が軽口を叩くが、桂子が笑顔を向けると、「すみません」と言って黙り込んだ。
 そこへウェイトレスが注文した料理を次々と運んできた。ピザ、パスタ、サラダにハンバーグなどがテーブルの上に並べられていく。
「じゃあ、頂きましょ」
 咲季が音頭を取って、何となく全員で手を合わせた。
 後は各人が思い思いにテーブルの上の食事を取り分けていく。咲季と桂子が普段通りの小食なのに対し、航太郎と橋本は皿を奪い合うようにがっついている。和水は争奪戦にこそ加わっていないが、目の前の皿を快調に平らげていく。食料の配分に大きな偏りがあるのは間違いない。すると咲季は、
「いいのよ。私と桂子はその分デザートを頂くから」
 などと言って桂子と顔を見合わせた。
「あ、俺も食べる、チョコケーキ」
 自称カカオ中毒こと橋本が右手を挙げながら主張する。
「橋本君はダメよ。もう十分食べたでしょ。だいたい、その小さい体のどこにそんなに入るのかしら」
「小さいって言うな。俺よりちょっとばかし背が高いと思って」
「もっと落ち着いて食べないと喉に閊えるわよ。で、和水ちゃんはどうする? 何かデザート注文する?」
 咲季は、抗議の声を上げながらも手を休めない橋本に呆れ顔で注意を促しつつ和水に視線を移した。
「ですが、私も橋本さんと同じくたくさん頂きましたし……」
「いいのよ、和水ちゃんは。それとも甘いものは嫌い? だったら無理にとは言わないけど」
 すると、和水は言いにくそうに口を何度か開きかけた後、小声で、
「好きです」
 と呟いた。
「じゃあ決まり。ほらほら、何にする? 私はチーズケーキね」
 メニューを和水に差し出しながら、咲季は早々と目星をつけていたようだ。
「……では、こちらのクリームあんみつを」
「じゃ、俺はこれ。フォンダンショコラ!」
 和水が手にしたメニューを覗き込み、橋本が人差し指を突きつける。咲季はやれやれと溜息をついた。
「この際だから航太郎君も何か頼んだら。一人だけ食べないのも寂しいでしょ」
 咲季がそう促すと、和水がメニューを手渡してきた。開かれたデザートのページに目を通す。
「うーん、この和風パンケーキにしようかな」
「あとは桂子だけね。……って、桂子?」
 桂子は咲季に声をかけられたのにも気がつかずに窓際をじっと見つめていた。
「桂子? 桂子ってば」
 咲季が軽く方を揺さぶると、ようやく我に返ったかのように桂子が向き直った。
「あ、咲季ちゃん。ごめんなさい」
「どうしたのよ。じっと外なんか見つめて」
 咲季が訝しげに尋ねると、桂子も怪訝そうな顔つきで言った。
「ううん、外じゃないの。あの窓際に座ってる人、こっちをちらちら見てたから気になって」
 桂子が目だけで示した先を見ると、窓際の席で男が一人、コーヒーカップを片手に外の光景を眺めていた。
 咲季は右手でゲンコツを作り、自分の頭を軽く叩いて言った。
「少し騒ぎ過ぎちゃったかしら。うるさくて邪魔だったんじゃない? 橋本君、ダメじゃないの」
「俺かよ!? 咲季だって十分騒々しかったと思うぜ」
 騒ぎ過ぎたというのなら、まったく反省が足りないのではないかという勢いで言い合いを始めそうになる。が、桂子は珍しく二人のやり取りを静かに遮って言った。
「ううん、違うと思う。最初はこっちの話し声が気になったみたいだったけど、後はそれに関係なくこっちを見ていたから」
「そう? 見向きもしないじゃない」
「俺たちが見てるからじゃないか? 服装と言い、あからさまに怪しい感じだよな」
 橋本が声を潜めて言った。
 その言葉通り、その男は全身黒ずくめの、怪しいと表現するに足る出で立ちだった。黒のレザーブルゾンにパンツ、襟元から覗くシャツまで黒という念の入りようで、おまけに室内だというのにターミネーターがかけていそうな大きなサングラスまで着用していた。窓際で眩しいのかもしれないが、それにしてはやけに外ばかり見ている。
「張り込み中の刑事とかじゃねえの?」
「橋本君、テレビドラマの見過ぎ。あんな格好じゃかえって悪目立ちするでしょ」
 呆れ気味に返す咲季の後を桂子が引き継いだ。
「それに刑事さんだったらこっちを気にする理由がないわ。橋本君が何かしたのなら別だけど」
「何にもしちゃいねえ。てか、何で俺って決まってんだよ」
 咲季たちがひそひそと話している間、和水はしばらく黙って男の様子を窺っていた。
 何が和水の関心を引いたのか、航太郎も注意深く黒ずくめの男を観察した。サングラスをかけているから人相まではわからないが、意志の強さを示すように口元を引き結び、鼻筋の通った顔立ちをしている。座っているからはっきりしないが、細身ながらかなりの長身のようだ。
「知らないふりをして様子見ましょう。桂子、デザートを決めて」
 後半だけやや大きめの声にして咲季が言うと、桂子も「フルーツパフェ」と応じた。ウェイトレスを呼んで注文を通し、とりとめのない会話を続ける間も一同の意識は窓際の男に向けられていた。
 落ち着いて考えれば何でもないのだろう。その男は偶然こっちを見ていたのかもしれないし、こっちには人目を引く少女が揃っているのだ。ついつい気になってしまうのも同じ男として理解できる。
 だが、一方で和水の態度は引っかかっていた。
 和水が見ず知らずの人間に関心を示す理由、それは男が鬼だからではないか。
 航太郎は改めて男の様子を盗み見た。咲季や橋本から咎めるような視線を感じる。気にしていないふりをしろ、ということだろう。とは言え、そうやって相手の出方を窺ったところで、こちらにはこれといった考えがあるわけではない。
 それに、同族かもしれないということを念頭に置いて改めて見れば航太郎にも何か引っかかるものがあるのだ。
 窓辺に差し込む日差しが強まり、男の横顔が逆光の中で黒い輪郭を描き出した。
 航太郎の脳裏に、故郷で見た夕日がフラッシュバックする。それは何も特別な光景ではない。小さい頃から、野山で遊び疲れた夕暮れに数え切れないほど見てきた光景だった。
「あ……」
 思わず声がこぼれる。途端に咲季と橋本が不審の目を向けた。
「何だよ、間抜けな声出して」
「もう、私の話聞いてなかったでしょ」
 相変わらず声を潜める二人だが、当の航太郎にはその言葉はもはや耳に入っていなかった。ただ、確証を求めるかのように窓際の男を観察し続ける。
 男もそれに気がついたらしい。まっすぐ、と言ってもサングラスのせいで視線の先に何を捕らえているのかは定かではなかったが、航太郎のほうへと顔を向けた。
 相手の表情が完全には読み取れない、航太郎にとってはやや不利なにらめっこがしばらく続いた。
 それでも先に動いたのは男のほうだった。右手のコーヒーカップをソーサーに戻すと、おもむろに立ち上がる。
 予想通りかなりの長身だった。身長一七五センチの航太郎より背が高いのは間違いない。黒ずくめの服装もあって、かなりの威圧感がある。
 その大男が航太郎たちのほうへと足を踏み出した時、咲季と橋本が小さく怯えた声を上げた。桂子は声にこそ出さなかったものの表情が強張っている。一方、和水はこれから何が起こるのかを見極めようと静かに男を見つめていた。
 男はゆっくりと、しかし確かな足取りで歩を進め、航太郎の傍らに立った。気の弱い人間なら泣き出してもおかしくないオーラに、咲季と橋本はすっかり気圧されているが、航太郎は動じなかった。
 少しの間をおいて、男が口を開いた。
「航太郎、だよな」
 その外見からは意外に思えるほど柔らかくて心地のよい低音だった。
 咲季、橋本、それに桂子までが狐につままれたような表情に変わった。和水もかすかながら戸惑いを浮かべている。
 航太郎は静かに頷いてニヤリと笑い、男の口調を真似して返した。
「アニキ、だよね」
 男はその呼び名に苦笑いを浮かべ、短く刈りそろえた硬そうな黒髪をワシワシと掻き、サングラスを外した。現れた端正な顔立ちに咲季が思わず嘆声を漏らす。
「二年ぶりくらいか?」
「二年半だよ」
 航太郎が訂正する。アニキこと箱崎旅人(はこざきたびと)は顔を綻ばせた。
「まさかこんな所でお前に会うとはな」
「それはこっちのセリフだよ。箱崎の小父さんも、アニキがこの街にいるならそう教えてくれればいいのに。引っ越しの時も何も言わなかったんだから」
「あ、ああ、そうだな」
 どことなく歯切れの悪い相槌を打った後、旅人は続けた。
「航太郎はいつからこの街にいるんだ?」
「つい最近引っ越してきたばかりだよ。父さんが転勤になって。やっぱり小父さんからは聞いてないんだ?」
「ああ。その……最近は連絡してなくてさ」
 どうも実家の話になると歯切れが悪くなるようだ。ケンカでもしたのだろうか。だったらこれ以上触らないほうがいいだろう。
「こっちの高校に通ってるの?」
 続けて航太郎が質問を投げかける。久し振りに会ったのだ。旅人のほうも航太郎に聞きたいことはあるのだろうが、二年半もの間こちらに消息を知らせなかったのだ。それくらいは譲ってもらいたい。
「まあ、そんなところかな」
 やはり歯切れが悪い。以前はこれほどはっきりしない性格ではなかったのだが。
「あの……聞いてもいいかな?」
 右手を小さく挙げながら咲季が話に割り込んできた。そこでようやく、他の四人を置き去りにしていたことに気がついた。
「あ、こっちだけで盛り上がっちゃってごめん。何?」
「その人、航太郎君のお兄さんなの?」
 咲季の問いかけに航太郎は思わず笑いを漏らした。
「ああ、違う違う。アニキってのはニックネームで……」
「箱崎旅人だ。航太郎とは同郷でね、小さい頃からの遊び仲間だよ」
 航太郎の後を引き継いでそう名乗ると、聞いていた和水がかすかに反応を示した。
「そっかあ。話を聞いてると兄弟って感じじゃなかったから不思議だったのよ。それにしてもすごい偶然。世の中狭いわね」
 怪しい黒ずくめの男の正体が判明した途端、咲季はいつもの調子に戻っていた。
「で、こちらは航太郎の新しい友達か?」
「そう。新しい学校のクラスメートだよ」
「楽しくやってるみたいで安心したよ」
 旅人はそう言ってから申し訳なさそうな顔をした。
「悪いが、俺はこれから用があるのでこの辺で失礼させてもらうよ」
「じゃ、そこまで見送るよ」
 航太郎は咲季たちに断りを入れて、旅人について出口に向かった。
「航太郎」
 レストランの外に出たところで不意に呼びかけられる。
「何?」
 のんびりと尋ね返すと、旅人は立ち止まって振り返った。
「あの髪の長いコな、気をつけたほうがいい」
 真剣な目だった。からかっているようには見えない。航太郎はドキリとしたが、平静を装ってとぼけてみた。
「和水さんが? どうして?」
「ふむ、和水という名前なのか。うまく説明できないんだが、少し引っかかるんだ。とにかく気をつけてくれ」
 彼女が鬼斬りかもしれないことを言うべきか迷ったが、航太郎の身近にそんな人間がいることを知らせて要らぬ心配をかけたくはなかったので、何となく頷いておくに留めた。
 それから旅人は手帳を取り出して何かをさらさらと書き、そのページを破り取って航太郎に押しつけた。
「俺の携帯番号だ。何かあったら連絡くれ」
「ありがとう」
 素直に受け取ると、旅人はじゃあな、と手を挙げて立ち去っていった。
 後ろ姿を見送りながら考えた。旅人は和水の正体に気づいていたのだろうか。それとも漠然とした警戒心を抱いただけだったのだろうか。
 レストラン内に戻ると、咲季と橋本が、航太郎の和風パンケーキに乗せられた小倉あんを失敬しようと狙っていた。慌ててそれを阻止しながら横目に見ると、和水はフルーツあんみつを静かに食べている。微笑みがいつもの五割ほど増量されたその表情からは、まったくと言っていいほど邪気が感じられなかった。航太 郎は、旅人の忠告が杞憂に終わることを願わずにはいられなかった。


 その日の夜、自室に戻った航太郎はベッドに腰掛けて携帯電話を開いた。何度かボタンを操作して電話帳を呼び出す。画面に「祇園恭介(ぎおんきょうすけ)」の名前とその携帯番号が表示された。航太郎の幼馴染みの一人、双子の祇園姉弟の弟である。航太郎とは同い年ということもあって、一番の親友と言える 存在だった。
 航太郎はその名前を見て一呼吸置き、「発信」のボタンを押した。プップッという音が数回、それからコール音に変わる。ワンコール、ツーコール……。携帯を置きっぱなしで部屋を空けているのだろうか。規則正しい祇園家の夕食には遅すぎる。考えられるのは居間でテレビでも観ているか、風呂か……などと考えて いると、電話のつながる音がした。
『もしもし、航太郎か?』
 引っ越しの日以来初めて聞く恭介の声だった。
「ああ、そうだよ。久し振りだな」
『まったくだよ。無事にそっちに着いたんなら連絡くらいくれればいいのに。今の今まで電話の一本もくれないなんてさ。舞衣(まい)が心配してたんだぜ』
 相変わらずの屈託のない口調だった。舞衣は恭介の姉なのだが、双子という気安さからか、恭介は「姉さん」だの「姉貴」だのとは呼ばず、原則として名前で呼ぶ。何か頼み事がある時に「お姉様」などと取って付けたような尊称を使う程度だ。
「あー、そう言えば連絡してなかったっけ? ごめん、ちょっとバタバタしててさ」
 引っ越し当日には薙刀装備の和水に遭遇したこともあって、そういうことまで頭が回らなかったことを思い出した。
『まあ、こんな特殊な村じゃ引っ越しなんてめったにないからな。小父さんも小母さんも慣れなくて大変だったのはわかるけどさ。あ、舞衣呼んでこようか?』
 電話の向こうで恭介が動き出す気配を感じた。
「あ、いや、ちょっと待って。その前に話しておきたいことがあってさ」
『何だよ?』
 怪訝そうな声が返ってきた。
「今日、街でアニキに会ったんだ」
 恭介が理解しやすいように言葉のペースを落としてはっきりと言い聞かせた。
『……何だって?』
 それでも恭介には航太郎の言葉を理解するだけの準備ができていなかったようだ。
「だから、アニキ。箱崎旅人に会ったんだよ」
『……』
 電話の向こうの恭介が黙り込み、しばらくして、
『マジか?』
 と短く尋ね返してきた。
「こんなことで嘘ついてどうするんだよ?」
『だってさ、寝耳に水だぜ。アニキってそっちにいたのか?』
 恭介が興奮気味に言葉を返す様子で、恭介も旅人の父親からは何も聞いていないことがわかった。
「やっぱり恭介も知らなかったんだね。僕も偶然会ったんだけど、びっくりしちゃってさ」
『やっぱりって何だよ? 航太郎が知らないのに俺が知ってるわけないだろ』
 それはもっともだった。箱崎家との関わりは、祇園家に比べれば天神家のほうが深い。航太郎が聞いていないことを恭介が聞いているとは考えがたかった。が、やっぱりという航太郎の反応には別の意味もあったのだ。
「いや、アニキと話しててさ、小父さんのことに触れると何となく言い淀む感じだったんだよね。もしかしたらアニキと小父さんにすれ違いでもあるんじゃないかな」
 航太郎が意味もなく声を潜めると、恭介も声のトーンを落とした。
『もしかしたらさ、アニキがそっちにいるのって箱崎家としては秘密にしたいんじゃないか?』
「どうして? ただこっちの学校に通うことになっただけじゃないの?」
『どこの学校だよ? ちゃんと聞いたのか?』
 どんな想像をしているのか、恭介は大きな謎を解く探偵でも気取っているようだった。
「いや、それは聞いてないけど」
 高校の話をした時も旅人の口ぶりがはっきりしなかったのを思い出した。おかげで通っている学校の名前まで尋ねることが躊躇われたのだ。
『ほら見ろよ。きっと何か秘密があるんだよ』
「まさか。だって携帯の番号だって教えてくれたんだよ? 僕と接触を避けたいんだったら教えないほうがいいだろ」
 特に理由もなく恭介の推理というか想像に異を唱えると、恭介は電話の向こうでしばらく唸った末にこう言った。
『じゃあさ、もし航太郎がアニキの連絡先を聞かなかったとする。で、連絡を取りたいと思った場合にどうする? 同じ街にいるんだからたまには会いたいって思うことだってあるだろ?』
「箱崎の小父さんか小母さんに聞くだろうね」
『それだ!』
 航太郎の返答に間髪入れずに声が飛んできた。恭介がまっすぐ人差し指でこちらを指している姿が見えてきそうだ。
「それって何だよ?」
『だからさ、航太郎が箱崎家に直接連絡するのを防ぎたいんだよ。それでアニキの話を持ち出されると困るんだ。箱崎家の密命で動いているから、村の人間に会ったとなるとお咎めを受けるんじゃないか』
「まさか」
 いくら何でも大風呂敷を広げすぎだ。確かに隠密でもやってそうな黒ずくめの服だったが、桂子が指摘した通り、あんな格好ではかえって目立つ。
『だよな。そんなわけないか』
 想像を逞しくしていた割にはずいぶんとあっさりと引き下がった。どうやら今までの話は恭介なりの冗談だったらしい。
『実際はさ、アニキが無理言ってそっちに出て行ったとかなんじゃないの? それで小父さんとギクシャクしてんだよ。そう言えばその街って……ん』
 恭介が何かを言いかけて不意に黙り込んだ。
「どうしたんだ? この街が何なんだよ?」
『いや、何でもない。……あ、いいところに来た。ちょっと待っててくれ』
「おい、恭介。話はまだ……」
『もしもし?』
 抗議の声は恭介ではなく女の子の声に遮られた。口調や高さは違うものの、響き方がどことなく恭介に似ているその声の主は祇園舞衣。恭介の双子の姉だった。何かの用で恭介の部屋を訪れた舞衣に電話を押しつけたらしい。説明もなしに渡されたのか、舞衣の声には戸惑いが滲んでいた。
「えっと、久し振りだね」
 取りあえず言ってみてから、名乗るほうが先だったかと反省する航太郎だったが、
『……航ちゃんなの? うわー、元気してた? 全然連絡ないから心配してたんだよ』
 無用の心配だった。名乗る必要すらなかったようだ。
 普段落ち着いている舞衣の声が弾んで聞こえるのは、二人の間にある時間と空間の距離のせいだろうか。
「ごめん。急に環境が変わったから落ち着く暇もなくてさ」
『そっか。転校って初めてだもんね。友達はできた?』
「さすがに人数が多くてクラス全員はまだ覚えられないけど、何人かはね」
 それから新しい街のことや学校のことを話すと、舞衣は興味深そうに相槌を打ってくれた。
 昔からそうだが、舞衣はこういった気遣いがうまい。人当たりが良くて、鬼の血に由来する美貌も備えているものだから、男子の間では根強い人気があった。
 そうなると人がいいのも考えもので、告白されて断る度にまるで振られた側のように泣いて帰ってくるものだから、航太郎と恭介にとっては悩みの種だった。
 舞衣と会話を続けながら、そんなことを思い出していた。
 そして、しばらく互いの近況を話し、今度は舞衣の携帯にも電話するようにと言い含められた後に通話を終えた。
 電話を切った後になって、恭介が言いかけてやめた言葉の続きが気になりだしたし、何かもう一つくらい聞きたいこともあったような気がしたが、今更かけ直して尋ねるのも迷惑かもしれない。また次の機会にでも聞くことにしよう。
 と、携帯電話からメロディが流れて着信を告げた。恭介だろうか。ならば飛んで火に入る夏の虫。さっきはぐらかされた話を聞かせてもらおう。
 そう思いながら携帯を手に取ると、ディスプレイには「藤崎和水」の名前。慌てて通話ボタンを押して応答する。
「もしもし?」
『夜分に申し訳ございません。航太郎さんでしょうか?』
 紛れもなく和水の声だった。いつも通りの丁寧な口調は、まるで家の電話にでもかけているかのようだ。
「はい、航太郎だけど。どうしたの?」
 ドキドキしている胸を空いた左手で押さえながら答えた。咲季や橋本だけでなく和水とも電話番号を交換していたものの、実際にかかってくるとは思っていなかった。
『お伺いしたいことがございまして』
「いいけど、何かな?」
 曖昧に答えつつも、ドキドキが止まらない。たいていのことは明日学校で聞いたって構わないはずだ。そうせずにわざわざ電話をかけてくるということは、急ぎなのか、それとも他人には聞かれたくない話なのか。どちらにしても想像力を刺激するシチュエーションだ。
『本日お会いした方、箱崎さんとはお知り合いなのですよね?』
 あれ、と航太郎は首を傾げる。緊急でも秘密でもなさそうな質問だった。少し拍子抜けしながらも航太郎は素直に返答した。
「知り合いというか、幼馴染みっていうのかな。小さい頃からずっと一緒に遊んでたよ」
 言ってから、まさか旅人のことを調べようとしているのかと思い当たった。旅人からも忠告されたではないか、和水には気をつけろと。やはり鬼斬りとして鬼の所在を把握しておこうという意図があるのかもしれない。
 だとすれば。和水を疑う気持ちは当初に比べると薄れているとは言え、あまり軽はずみなことを口走るわけにはいかない。航太郎は身構えて和水の次の言葉を待った。
 だから、和水の口から予想もしなかった質問が出てきた時には、間の抜けた声で聞き返すことしかできなかった。
 和水はこう尋ねたのだ。
『では、宮前梓紗(みやまえあずさ)という方をご存じではありませんか?』

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