第1章  月光の少女(後編)


「天神君、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
 きつねうどんのお揚げを箸で摘みながら咲季が尋ねる。
「転校したばっかで緊張してんのか? 見た目の割にデリケートなんだな」
 橋本が定食の唐揚げを豪快に頬張りながら言う。見た目の話をするなら小柄で細身の橋本こそデリケートそうだ。縁なしの眼鏡が線の細さを更に際だたせていて、神経質そうにさえ見えるにも関わらずこの食べっぷりなのだから、世の中はわからない。
「転校くらいで緊張なんてしないよ。そりゃ、前住んでた所に比べると大きい街だから、ちょっと驚いてはいるけどさ」
 航太郎は元々それほど人見知りするほうではない。鬼の生まれとは言っても人間社会と関わりがなかったわけでもない。
 航太郎が生まれた、かつて鬼の村だった地区には中学校までしかなかったため、高校は必然的に少し離れた街中まで通うことになる。その街には、長年の間に村から移住した鬼の血を引いた人間もある程度は住んでいるが、大半は純粋な人間だ。その街の人間たちは身近で鬼が共生していることにはまったく気がついていなかっただろう。鬼斬りなどという物騒な存在も昔話に聞く程度だった。
「天神君はね、お隣さんが美人だから緊張してるのよ」
 またしても咲季が余計なことを言う。恨みがましく視線を向けると、すました顔でずずっとうどんの出汁を啜っていた。
「おおっ、マジで? 転校初日からいきなり藤崎狙いか? さすが、顔のいい奴は目の付け所が違うなあ」
 まったく嫌味のない感心しきった調子だった。それでも、そんなことを食堂のような場所で大声で言わないで欲しいと思うのは航太郎だけだろうか。
「藤崎さんは大変だと思うわよ」
 それまで会話に参加していないかのように炒飯を口に運んでいた中洲桂子がぽつりと呟いた。教室で自己紹介された後に初めて聞いた気がする彼女の声は、のほほんという擬態語が文字になって浮かんできそうにゆったりしていた。咲季や橋本とは違った意味でマイペースな性格のようだ。二人がおしゃべりな分バランスが取れているのかもしれない。ただ、この場合はさすがに言葉が足りない。詳しく聞こうと航太郎が口を開きかけると、それよりも早く咲季の声が響いていた。
「大丈夫なんじゃない? 朝、天神君が席に向かっていく時に見えたんだけど、藤崎さん嬉しそうな顔してたもの。あんな表情は初めて見たわ。意外と面食いなのかもね」
 航太郎は際限なく広がっていきそうな誤解に頭が痛くなった。自分の顔がどうかは置いておいて、和水が嬉しそうに見えたのは、獲物を見つけた肉食獣が舌なめずりをするのと同じなのではないか。
 そんなことよりも、気になるのは桂子のさっきの一言だった。
「中洲さん。さっき、大変だって言ったよね?」
「ええ、言ったわよ」
 何が嬉しいのか、涼やかに微笑むその表情は天使のようだった。
「できれば詳しく聞かせてくれないかな」
「藤崎さんね、あんまり人と関わろうとしないの」
 ゆるゆると答える桂子の後を咲季が引き継ぐ。
「実を言うと藤崎さんって今ひとつクラスに溶け込めてないのよ。物腰は丁寧だし、非協力的ってわけじゃないの。クラスの行事にも参加するし、割り当てられた仕事はちゃんとしてくれるわ。でも、自分から人に話しかけるところなんて見たことないから、ちょっと心配なのよね」
 だから、と咲季はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「天神君に興味を持ってくれたのはいい傾向だと思うわ。私たちも話しやすくなるし、クラスのためにも藤崎さんと仲良くしてあげて」
 和水の神経を逆撫でしないようにと戦々恐々としている人の気も知らないで無体なことを言ってくれる。何の相談もなしに転勤の話を喜んで引き受けた父親を改めて恨めしく思う航太郎だった。


 午後の授業も万事同じ調子だった。咲季から厄介なことを仰せつかったせいで余計に和水のことを意識してしまい、授業の内容など半分も頭に入ってこない。
 最終授業の終業ベルが鳴り、学級委員の号令も済んで担当教師が教室を後にした時には、机に突っ伏してそのまま小一時間ほど休みたい衝動に駆られた。しかし、今の航太郎にそんなことをしている暇はない。人がいなくならないうちに少しでも早くこの場を離れなければ。いくら咲季から和水と仲良くしろと言われても、そんなことは考えられない。
 慌てて鞄を掴んで立ち上がったところで、右隣から声がかかった。
「天神さん、もしよろしければ途中までご一緒に……」
 航太郎は不意に銃口を突きつけられたかのように背筋を伸ばして硬直した。その時になるまで教室では和水から一度も声をかけてこなかったのだから尚更だった。まして、咲季の話によれば自分からクラスメートに声をかけることはないはずではなかったのか。
「ごごご、ごめん! 今日はちょっと用事があるから」
 苦し紛れの嘘でごまかすと、和水のふわりとした笑顔にかすかに失望の色が混じった。それが航太郎の肝を冷やしていく。
 しかし、和水はそれ以上の反応を示すことなく、柔らかい笑みを浮かべたまま申し訳なさそうに言った。
「左様でございましたか。お引き止めして申し訳ございませんでした。ではまたの機会に」
「そそそ、そうだね、また明日!」
 航太郎は逃げるように教室を飛び出し、取りあえずその場を離れた。意味もなく上の階へ駆け上がって息をつく。そのまま少し待って階段越しに下の様子を伺うと、藤崎和水が一人でゆっくりと階段を下りていくところだった。表情は窺い知ることができなかったが、去っていく姿は心なしか寂しそうで、年相応の女の子にしか見えなかった。その後ろ姿を見送りながら少しだけ胸が痛んだことに、航太郎自身が驚いていた。
「何してるの?」
 思わずびくりと跳ね上がる。おずおずと声のした方向に視線を向けると、川端咲季が意味ありげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「……川端さん」
 脱力しながら階段の手すりにもたれかかり、大きく溜息をついた。
「天神君って、もしかしてこの学校に潜入した秘密組織のエージェントか何か? だったら明らかに人選ミスよねえ」
 咲季はそんな失礼なことを言って笑っている。笑い声までが鈴を転がすようにきれいだった。
「とすると、ひょっとして藤崎さんは敵対勢力のエージェントなのかな? そっか、だからクラスでは目立たないようにしてるのね。二人が意識しあっている理由にも納得がいくわ。でも、それってお互い正体がバレバレってことよね。ダメなんじゃない?」
 どうやら咲季は豊かな想像力の持ち主らしい。航太郎と気が合うかもしれない。
「……なんて、まさかねえ。で、藤崎さんを袖にするくらい大事な用事ってのはもう済んだの? 場所がわからないんだったら案内するわよ」
 一方的だった。そう言われて少し考える。
 もちろん用事など間に合わせで考えたに過ぎない。と、航太郎に一つの考えが浮かんだ。エンカウント率を下げるためにもどこかで少し時間を潰したほうがいいのではないか。
「実は図書館を探してるんだ」
「オッケー。ご案内しましょう」
 先に立って階段を下り始めた咲季だったが、ふと思い出したように振り返った。
「そうそう、私のことは『咲季』でいいから。そうね、何なら『さっちゃん』とか『サッキー』でも構わないけど」
 サッキーって何だよ、半ば呆れながらも航太郎は無難な呼び方を選択しておく。
「……咲季ちゃんって呼ぶことにするよ」
「ん、わかった。じゃあ、私も航太郎君って呼ばせてもらうわね」


 咲季に案内されてたどり着いた図書館は、校舎とは別の建物だった。小さいながら戦前の洋館といった趣の煉瓦造りの建物で、周囲を圧倒する存在感を見せていた。
「古い学校だからね」
 咲季が苦笑気味にそういうのを聞きながら、航太郎は正面の扉を開ける。
 レトロスペクティブな外観そのままに内部の構造も昔の面影を強く残していた。様々な文様が彫刻された柱が並び、歩くたびに小さな軋みを上げる木張りの廊下を彩っている。その一方で、一階の各部屋に掛けられている札には「視聴覚室」や「コンピュータ教室」などと書かれていて、何となく場違いな印象を受け る。その廊下を突き当たりまで進み、階段を上ると閲覧室の入り口があった。
 ガラスの嵌ったドアを開けて中に入ると、静謐な空間が広がっていた。木枠の窓から柔らかな日差しが差し込む中、生徒たちは思い思いに読書をしたり、自習をしたりしていた。
 航太郎は咲季に礼を言って書架に向かった。咲季は咲季で、せっかく図書館に来たからには何か面白い本がないか探すらしい。航太郎とは別の方向へと行ってしまった。
 左右に広がる本棚を眺めながらめぼしい本がないか物色してみる。高校の図書館にしてはかなり充実した蔵書だ。航太郎が通っていた田舎の高校の狭い図書室とは比べるのも失礼だった。
 不意に前方に不意に長い黒髪の後ろ姿が見えた。
 直帰じゃなかったのか、航太郎は慌てて回れ右をしてその場から逃げ出そうとした。
「天神さん」
 背中越しに声をかけられ、思わず立ち止まった。冷たい汗が背中を伝う。
「図書館にご用でございましたか。ならばそう仰っていただければ、ご案内差し上げましたのに」
「そ、それもそうだね。ごめん、ふ、藤崎さん」
 声が震える。おそるおそる振り返ると教室で見たのと同じ柔らかい微笑みを湛えた長髪の少女が立っていた。
「あら、もうお名前を覚えてくださいましたのね。光栄ですわ」
「それはもう。と、隣の席だし」
 実際に名前を聞いたのは朝の校門なのだから隣の席は関係ないのだが、受け答えでいっぱいいっぱいの航太郎はそんなことには思いも及ばなかった。
「それで、藤崎さんは何か探しものをしてるの?」
 どうしてこんなにフレンドリーに話しかけているのだろう? そうは思ったものの、間近で見る少女の笑顔には気のせいかもしれないけれど邪気が感じられなくて、そしてやはり美しかったものだから、航太郎の正常な判断力は栓を抜いた炭酸飲料のソーダのように泡と消えた。
「ええ、ハイネの詩集を探していまして。五十音順で並んでいますから、この辺りだと思うのですが……」
 和水はそう言いながら首を傾げ、右手を頬に当てた。その、いかにも困ってますといった仕草があまりにも似合っていて、航太郎はドキドキしてしまった。
 ダメダメダメ。この人は危険、この人はハンター。
 漫画だったら目がぐるぐる渦巻きになっていそうな混乱した頭を何とか落ち着けようと必死になる。
 しかし、と航太郎は考える。ハイネという選択はこの少女の清楚なイメージにぴたりとはまっている気がした。……少なくとも外見上は。取りあえず、デュマじゃなくてホッとする航太郎だった。探し物が『三銃士』だったらと思うとぞっとする。いや、何となく。
 航太郎は周囲の書架をぐるりと見回し、あることに気がついた。
「藤崎さん、この棚、『英文学』って書いてあるんだけど?」
 和水は小首を傾げてきょとんとした目で問い返した。
「はい、確かにそう書いてございますが?」
「とても言いにくいことなんだけど、ハイネはドイツ文学の棚にあると思うんだ」
 少女の機嫌を損ねないことだけを祈りながら航太郎が指摘すると、
「まあ、左様でございましたか。これは失礼いたしました」
 和水は、航太郎の懸念などどこ吹く風という顔でニコニコ微笑みながらドイツ文学の棚を探し始めた。つまり、ハイネを英文学だと思っていたわけだ。
「あまり読まないの?」
 本自体をあまり読まないのか、それともたまたまハイネの詩集というのが普段読まない種類の本なのか判断できなかったので、曖昧な質問を投げかけることにした。
 よく考えれば今のうちにそっと逃げてしまえばよかったのではとも思ったのだが、話の途中で黙って消えるのも悪いと思う、変に律儀な航太郎だった。
「ええ、外国文学を読むのは久し振りでして」
 右手の人差し指で並んだ本をたどりながら和水が答えた。
 そういう答えが返ってくるということは、本そのものは読むらしい。
「普段はどんな本を読むの?」
 完全に立ち去るタイミングを逸した航太郎は諦め、当たり障りのない会話でその場をやり過ごすことにした。別に咲季に仲良くしろと言われたからではない、と自分に言い聞かせる。それに、少しくらい知己を得ておけば延命措置にはなるかもしれないではないか。
「古典が多いかと思います。『源氏物語』など、特に好きですわ」
「そ、そう……」
 ベタなくらいにはまり過ぎだ。いくら古典と言っても、「愛読書は『平家物語』です」などと言われたら、脱兎のごとく逃げ出していただろう。
「天神さんはよく本をお読みになるのですか?」
「そこそこ、かな。今まで何もない田舎に住んでたから、野山を駆け回るか本読むくらいしかすることなかったし」
「左様でございますか。のどかできれいな所なのでしょうね」
「それはまあ」
 ご近所みんな鬼の家系だけどね、航太郎は心の中だけで付け加えた。
「ああ、ございましたわ」
 そう言いながら和水がハードカバーの本を一冊抜き出し、航太郎に示す。
「おかげさまで見つかりました。ありがとうございます」
「いや、大したことじゃないし。それじゃあ、僕は……」
 話の切りもいいしここで撤退、と思ったところに和水がまっすぐに見つめてきて、航太郎は口ごもった。およそ殺気という言葉から程遠い柔らかい視線だった。とても自分の命を狙っているようには見えなくて、航太郎は少しだけ彼女から逃げる自分の行動に自信がなくなった。
「この後はご予定がございますか? もしよろしければ……」
「航太郎君、何か面白い本……って、あら、藤崎さん?」
 まさにジャストのタイミングで本棚の陰から咲季が顔をのぞかせた。助かった、心の中で胸を撫で下ろす航太郎だった。危うく和水の天使のような笑顔に飲まれるところだった。
「こんにちは、川端さん」
 ほんの少し前まで同じ教室にいたにも関わらず、和水は丁寧に挨拶しながら軽く会釈をする。咲季も苦笑いを浮かべながらこんにちはと返した。
「ごめんね、お取り込み中だったかな?」
 言いながら回れ右しようとする咲季を止めるべく航太郎は慌てて手を振った。
「ううん、今ちょうど済んだところ。咲季ちゃん、もう帰る?」
 見ると、咲季は両手に三冊ほどの本を抱えていた。あいにく背表紙が内側を向いているので本の題名はわからない。
「そうね、収穫もあったし」
 見ると、咲季は両手に三冊ほどの本を抱えていた。あいにく背表紙が内側を向いているので本の題名はわからない。
「あれ、航太郎君は何も借りないの? それとも気に入った本が見つからない?」
「あ、いや、借りるのはまた今度にするよ。取りあえず、どんな所かはわかったから」
「そう? じゃあ帰りましょうか。藤崎さんも一緒にどう?」
 またしても咲季が余計な一言を投げる。悪気がないのはわかるが、少しは空気を読んで欲しい。もっとも、この餌に和水が食いついても二人きりになるわけではないだけマシと考えるべきか。
 しかし、当の和水はそわそわしている航太郎をしばらくじっと見つめた後、遠慮がちに微笑んで言った。
「お誘いはまことにありがたいのですが、まだ少し探し物が残っていますので。申し訳ございませんが、お先にお帰りくださいませ」
「ふうん、それじゃ仕方ないわね。お先に失礼しましょ、航太郎君」
「え、うん……」
「ほらほら、残念なのはわかるけど、邪魔しちゃ悪いでしょ」
 そう言いながら航太郎を促す。
「そ、そういうわけじゃないよ」
「隠さなくていいから。じゃ、藤崎さん、バイバイ」
 簡単に会釈をして、咲季が貸し出しカウンターに向かって歩き出す。
「それじゃ……」
 航太郎も小さく挨拶をして咲季の後を追った。
「あ、航太郎さん」
 後ろからまた呼び止められて立ち止まった。が、何か違和感がある。
 今、「航太郎さん」って呼んだか? 何の前振りもなく名前か?
 振り返った咲季も驚愕と呼んで差し支えないような表情でこちらを見ている。二人の時が凍結する中、地雷原の少女は何事もなかったかのように言葉を続けた。
「今宵(こよい)は十六夜(いざよい)でございます。まだ危のうございますから、くれぐれも夜歩きはなさいませぬよう」
 昨夜に引き続き、またしても警告か。しかし、警告するのなら、「月のない夜道」が定番なのではないか? 和水の口ぶりだと月の明るい夜ほど危険だと言いたげだ。
「では、また明日」
 和水の口から紡がれたその言葉が航太郎を現実に引き戻した。それが社交辞令でも虚言でもないのなら、今夜航太郎を襲うつもりはないということだろうか。
「ま、また明日」
 和水との間に不可侵条約でも交わしたかのように、航太郎は同じ言葉を繰り返して咲季と共に図書館を後にした。

Back/Index/Next

こちらのランキングに参加しています。面白いと思ったら投票お願いします。

NNRランキング

よろしければこちらから感想をお願いします。(任意の項目だけで結構です)

名前(ハンドルネーム)

メール(返信をご希望の場合)

性別(秘密でもいいです)

男性 女性
年齢(秘密でもいいです)


読後の評価をお願いします


好きな登場人物を教えてください
(複数選択可)

天神 航太郎
藤崎 和水
川端 咲季
中洲 桂子
橋本
あなたはここの常連さん?


コメント(未記入でも可)


書き終わったら押してください→


広告 [PR] 再就職支援 わけあり商品 冷え対策 無料レンタルサーバー ブログ blog