短くも美しく燃え(後編)


 ふたりは御呂地岳を歩いて越えるつもりだった。御呂地村の氷室神社に身を寄せるのだ。おキヌの実家だった。おキヌの取りなしで匿ってもらえることになっている。
『ついでに結婚式も挙げちゃったらいいですよ。その時は絶対に呼んでくださいね』
 あの夜、駆け落ちのことを告げると泣き出したおキヌだったが、実家に電話をしてふたりのことを頼み込むと、別れ際には笑ってそう言った。
 氷室神社にいるおキヌの姉・早苗とかおりは何度か会ったことがあった。そのため、早苗はいつでもふたりのことを歓迎するとさえ言ってくれていた。今のふたりには、そんな友人たちの心のぬくもりが嬉しかった。
「神社に着いたら、取りあえず横島たちに連絡を入れないとな」
「そうですわね」
 山を登るに連れて寒さが厳しくなってきたこともあり、ふたりはしっかりと寄り添って歩いていた。
「……!」
 人の気配を感じてふたりは身構える。ただの人間ではない。間違いなく霊能者の気配だ。
 逃げるか? いや、相手はもうすぐそこまで来ている。追っ手だとすればおそらく巻くのは難しいだろう。倒しておいて先へ進む方がいい。雪之丞はそう判断した。
 やがてふたりが歩いてきた獣道からひとりの男が現れた。
「……!」
 整った顔立ちで、雪之丞とは対照的に生真面目そうな青年である。かおりはその男を知っていた。
「ようやく見つけましたよ、かおりお嬢さん」
「あなたがどうしてこんな所にいるのですか?」
 不快感を露わに尋ねるかおりの様子に、男は心外だとばかりに肩をすくめて言った。
「あなたをお迎えに上がったのです。さあ、僕と一緒に帰りましょう」
「かおり、誰だ、この妙なお坊ちゃんは?」
 雪之丞が心底呆れた様子で尋ねた。
「弓家の分家で、同じく弓式除霊術を伝える水流(つる)家の一人息子・水流博樹よ。もっとも今までに三回くらいしかお会いしたことがないのでよく知らないのだけれど」
 冷ややかに博樹を見つめながらかおりは言った。
「大事なことをお忘れですよ。僕はあなたのフィアンセです」
「そんなことはお父さまが勝手に決めたことですわ!! お引き取りください」
 かおりが少しムキになって言い返す。
「せっかくこんな所までお迎えに上がったのに、随分と冷たいですねえ」
「それが気になってたんだが、よくここがわかったな」
「この地方には氷室キヌ……失礼、今は横島キヌだったかな、その女性の実家がある。そこへ向かうだろうと読んだわけさ」
 博樹は淡々とした口調で語った。
「へえ、やるじゃねえか。で、そこまでわかっててひとりでのこのこやって来たわけか?」
「他のみんなはあちこちに分散して探しまわってるよ。お嬢さんに僕の実力を見てもらういい機会だと思ってね。大人しくお嬢さんを返さなければ痛い目に遭うことになるよ」
「おもしれえ。かおり、お前は手を出すな。この坊ちゃんには身の程を知ってもらわねえとな」
 そう言うなり魔装術を見に纏う雪之丞。
「雪之丞、性格はともかくとしてこの男の実力は確かですわ。油断しないで」
 博樹は緑の数珠をかざした。数珠から光が溢れ、博樹の体を包んでいく。
「これが弓式除霊術水流派の奥義・翡翠明王だ。悪魔の契約と引き替えの魔装術などとはわけが違う!」
 博樹は緑色に輝く鎧を身に纏っている。かおりの水晶観音によく似ているが、二対の腕が追加される代わりに腕が一回り大きくなっている。
「悪いな。俺の魔装術は猿神の保証書付でな!!」
 雪之丞はそう言いながら博樹に先制攻撃を掛ける。霊力を込めた拳は翡翠色の手甲に覆われた腕に阻まれる。
「その程度の攻撃で! だいたい、お嬢さんを呼び捨てにするなど厚かましい!!」
 博樹は力任せに雪之丞を振り払った。弾き飛ばされた雪之丞は一回転して着地した。
「なるほど、手数とスピードで攻めるかおりの水晶観音と違って一発で決めようって技なわけだ」
「まだ呼び捨てにするか!?」
 今度は博樹が打って出た。大振りな攻撃を交わして横から雪之丞が反撃に出る。博樹はもう一方の腕で受け止めると雪之丞を押し返した。
 一進一退の攻防が続いていく。
「きゃっ!!」
 不意にかおりの叫び声が聞こえた。雪之丞は一瞬、かおりの方に気を取られてしまった。小僧らしい男が弓を押さえつけているのが視界に入った。おそらく博樹の仲間だろう。
「隙ありっ!!」
 ほんの一瞬注意を逸らした雪之丞に博樹の渾身の一撃が向かう。反応が遅れた雪之丞だったが、まさに紙一重の所で回避し、そのまま無意識に腕を振るって反撃に出た。本能的に研ぎ澄まされた霊力を帯びた拳が博樹を襲う。
「……!!」
 次の瞬間、雪之丞の拳は翡翠明王の装甲を砕き、博樹の胸部に深々と突き刺さっていた。ワンテンポ遅れて赤い液体が雪之丞の腕を伝い、雪に覆われた大地にポタリポタリと痕をつけていく。
「ひ、博樹さ……ぐっ!!」
 目に見えて狼狽える小僧の腹にかおりが肘を打ち込み、小僧は崩れ落ちた。
 雪之丞が拳を引き抜くと博樹の体はそのまま俯せに倒れる。博樹の体の下から赤い染みが白い雪原に広がっていく。
「雪之丞……!」
 かおりが雪之丞に駆け寄ろうとした。
「来るな!」
 背を向けたまま叫ぶ雪之丞にかおりが立ち止まる。
「どうして……」
「見ただろう? 俺はこいつを殺した。咄嗟のことで手加減できなかったなんて言い訳にもならねえ。警察……それにたぶんオカルトGメンからも追われることになる。お前は来るんじゃない」
 かおりは静かに雪之丞の横をすり抜け、既に事切れている博樹の前に立った。震える拳を振り上げ、躊躇いがちに制止させる。ぎゅっと目をつぶり、博樹の体に拳を叩き込んだ。かおりの赤いコートに血が跳ね返る。
 かおりはゆっくりと立ち上がった。かおりの手から赤い雫が一滴、また一滴と落ちていく。
「かおり……」
「これで……私の手も血に濡れたわ。私はあなたの共犯者なの。だから……」
 そこまで言って振り返ると、かおりは雪之丞の胸に飛び込んだ。
「だから私を置いて行かないで!! 最後まで……あなたと一緒にいさせて!!」
 抱き合うふたりの上から、何も知らない雪が舞い降りては地面の赤い染みを覆い隠していった。



 東京の美神除霊事務所。横島とおキヌはふたり揃って浮かない顔をしており、シロ、タマモ、それに美神までも心配させていた。
 それというのも雪之丞たちから何の連絡も入ってこないからである。途中、人骨温泉を経由して御呂地村に向かったとしてももう着いていなければいけない頃である。氷室神社に到着すれば一報くらいあるだろうと思っていただけに、ふたりの不安は果てなく膨らんでいた。
 実を言うと、事務所の他のメンバーは雪之丞たちの駆け落ちのことを知らなかった。元々それほどつきあいの深い方でもないのだ。だからこのふたりの悩みの原因も思い当たるところがない。ふたり揃って何か厄介ごとに関わって、そのことで悩んでいるのだろうと推測できるだけである。
 事務所の電話が鳴り始めた。どんよりとした場の空気に耐えられなくなった美神が応じた。
「はい。美神除霊事務所……って西条さんじゃない。どうしたの? え、御呂地岳で殺人事件?」
 『御呂地岳』の言葉に横島とおキヌが敏感に反応した。
「西条さん、うちは探偵事務所じゃないのよ? ……。何ですって!? 雪之丞が指名手配? うん……うん……。捜査に協力? そりゃお金さえ出るなら考えるけど……あ、ちょっと、横島クン!」
 横島がものすごい勢いで事務所を飛び出していくのが目に入り、美神は受話器を持ったまま叫んだ。
「ごめんなさい、西条さん、こちらからかけ直すわ」そう言って電話を切ると美神は呟いた。「アイツ……、無茶しなきゃいいけど」



 北に向かうと凍えるような寒さが増してくる。
 もはや氷室神社に向かうわけにもいかなくなった雪之丞たちは山奥に分け入っていった。捜査の手が伸びてくればどこまでも逃げ切れるものではない、そうはわかっていても少しでも人里から離れようと必死だった。それでも死を選ぼうとしなかったのはふたりの強さであり、意地だったのかも知れない。あるいは、浮かんでは消えていく友人たちの顔、また会おうと約束した夜のこと、そして宿の女将の言葉のこともあった。
 野宿もできない冬山である。廃屋に入り込んではどうにか囲炉裏に火を起こし、寄り添って夜を過ごしたりもした。ふたりにとって幸いだったのは、雪は降っているものの吹雪と言うほどの荒れた気候にはならなかったことであろう。山小屋のひとつでも見つかればどうにか寒さを凌ぐことができた。



 そうしてどれくらいの日数逃げたであろうか。
 ちらちらと降っていた雪がやみ、雲の狭間から太陽の光が差し込んできた。積もった雪に反射する光が眩しかったが、和らいできた寒さに、ふたりの心を覆っていた絶望の氷も心持ち溶けたような気がしていた。
 だが、歩いていると不意に周囲が結界に囲まれたことに気がついた。それもかなり広範囲の結界だ。こんな芸当ができる霊能者などそうそういない。
「まさか……横島か?」
 雪之丞は呟いた。だが、そこには苦々しい様子はどこにもなかった。もはやこれまでだというのなら、最後に横島と決着をつけて終わるのも悪くはない、そんな心持ちだった。
 だが、聞こえてきた声は別の、しかしよく知っている男のものだった。
「横島クンじゃなくて悪かったね」
 林の中から現れたのは、オカルトGメンの捜査官・西条輝彦である。笑みひとつない鋭い眼差しでふたりを見据える西条。
「彼らは来ないよ。君たちを助けに来ることもできない」
「……」
「横島クンとタイガーくんは僕らの捜査を妨害しようとして逮捕された」
「何!?」
「その件で監督不行届が指摘されてね、美神、小笠原の両除霊事務所は営業停止処分を受けた。おかげで捜査協力の要請はパアだ。もしかしたら彼らはそこまで読んであんな無茶をしたのかも知れないね」
「そうか、あいつらが……」
「正直、タマモくんやシロくんの力を借りたかったんだが、ま、こうして見つかったからよしとしよう。君は僕では不満のようだがね」
「ああ、物足りないな」
 挑発的に言い返す雪之丞に、西条は微かに苦笑を漏らして言った。
「やれやれ、若い子たちに随分と嫌われたものだ。ピートくんも捜査に加わるのを拒否してね、命令違反で謹慎中だよ。彼がこんなことをしたのはもちろん初めてだ」
「……で、こんな頑丈な結界張ってどういうつもりだ?」
「僕は真面目でね。彼らみたいに感情的には行動できない。時々それが嫌になることもあるけどね……」
 西条は軽く言葉を切って続けた。
「これが僕にできる最大限の譲歩だ。今すぐ投降したまえ。自首扱いにしてあげるよ」
 その時、かおりが話に割って入った。
「私も一緒に逮捕してくださいますか?」
「もちろんだよ。ただし、殺人罪ではなく死体損壊罪だがね。君のものと思われる打撃の跡は被害者の死後につけられたものだとわかっている。共犯関係も曖昧だ。そもそも君は雪之丞くんに誘拐されたことになっているんだよ。死体に傷をつけたことも強要されたとして情状酌量がつく可能性が高いね。……現実がどうだとしても」
 有無を言わさぬその言葉にかおりの表情が曇る。
「では……私は弓家を追い出してはもらえないのですね? 雪之丞の帰りを待ってはいられないのですね?」
「さあ、それは部外者の僕にはわからない。でも、僕もそれなりの名家の出身だがね、そんなに甘くはないんじゃないかな。特に君は一人娘で唯一の後継者なわけだしね」
 淡々とそう語る西条の目を正面から見据えると、かおりは数珠をかざし、水晶観音を発動させた。
「では、あなたを排除して押し通ります」
「雪之丞くん、君も投降する気はないのかい?」
 西条は視線を雪之丞に移した。
「かおりがそれを望むなら、俺はかおりと地獄にだって行くさ」
 雪之丞は決然と言い切った。やむなしと判断して西条は霊剣ジャスティスを鞘から抜いた。
「交渉決裂、か……」
 その言葉と同時に2対1の戦いが始まった。しかし、西条は美神にも引けを取らない実力者である。雪之丞とかおりのふたりがかりでも易々と勝てる相手ではない。逆にかおりは弾き飛ばされて倒れてしまった。それでも傷を負わせていないあたりは西条の腕の確かさを物語っている。
 1対1になると雪之丞は次第に西条に押されていく。西条はもちろん雪之丞も相手を殺すつもりはない。その手加減の技術の差が如実に立ち回りに表れていた。特に雪之丞は手加減できずに人を殺してしまったばかりなのだ。尚のこと神経質になってしまう。
 いったん離れて間合いを取ったふたりは再び打ちかかろうと動き出した。その時である。雪に足を取られて西条の体が微かによろめいた。そのため、雪之丞の拳の先に西条の無防備な胸部が来た。このままでは打ち抜いてしまうだろう。だが、勢いのついた動きは止まらなかった。
 鈍い衝撃と共に数日前の光景が雪之丞の頭にフラッシュバックした。思わず雪之丞は目をつぶった。



 恐る恐る目を開けると、そこには雪之丞の拳を身に受けたかおりの姿があった。
「どう……して……?」
 信じられないと言った表情で雪之丞が呻いた。
「ダメ……よ。お願い……もう人を殺さないで……。私たちのために……不幸な人を……増やさないで」
 苦しそうな表情でそう呟くとかおりは崩れ落ちるように倒れた。
 西条を殺しそうになった雪之丞を止めようとして攻撃を受けてしまったのだろうか、それとも初めから死ぬつもりで飛び込んだのだろうか。わからない。雪之丞にとってはそんなことはどうでもいいことだった。雪之丞の精神はもはや何も考えることができなかった。
「かおり……かおり……」
 愛する人の体の前にうずくまり、ただその名を呼び続ける雪之丞。
 立ち上がった西条が雪之丞の脇までやって来た。苦り切った表情で、結果的に自分の命を救うことになった女性を見下ろしていた。
「弱く哀れな魂よ……せめて冷たい井戸水を……
 飲みなさい。そして……眠りなさい。ほらね……私が残ってあげるから……」
 ゴボゴボと口から血をこぼしながらうわごとのように呟くかおり。
「喋るな、もう喋るな、かおり……」
「さあ、眠りなさい! 希望は輝く、穴の中の……小石のように……」
 かおりは弱々しい目で雪之丞を見つめるとつけ加えた。
「ねえ、雪之丞……私、幸せだったわよ。太陽の光はいつだって差し込んでた……。だって……あなたが太陽だったんですもの……」
「俺も……俺も幸せだった。お前に出会えて……本当によかったよ」
 雪之丞がかおりの手を握りしめてそう言うと、かおりは最後に軽く微笑んで、静かに眼を閉じた。一滴の涙がかおりの顔を伝った。
「雪之丞くん……」
 かおりの亡骸にすがりついて、声も立てずにすすり泣く雪之丞に、西条が声をかけた。
「うおおおおっ!!」
 不意に雪之丞が立ち上がった。咄嗟に西条は後ろに飛んで間合いを取った。振り返った雪之丞はそのまま西条に向かってくる。
 西条は反射的にジャスティスを構えて防御の姿勢を取った。ところが、西条の所へ届く直前に雪之丞はいきなり魔装術を解除した。
「く……!」
 雪之丞の意図を悟った西条は慌ててジャスティスを引こうとしたが、遅かった。
 西条の腕に鈍い感触が伝わる。ジャスティスは雪之丞の腹を貫いていた。白銀色の刃を伝って、赤い雫がポタリポタリと地面に落ちていく。口から大量の血を吐きながら、雪之丞は腹部を貫く剣を引き抜く。そうしてよろめきながらかおりの方へと向かっていった。
「かおり……すぐに追いつくぜ。待ってろよ……」
 そう呟くと雪之丞はかおりの亡骸に口づけをし、そのまま倒れ伏した。
 太陽は雲の後ろに隠れ、再び雪が降り始める。
「こんな終わり方しかなかったのかい? これは映画じゃないんだ。モーツァルトなんて流れてこないんだよ……」
 西条は寂しげにそう呟くと結界を解除し、天に向かって銃声を響かせ、周囲の捜査官に合図した。
 抱き合うように倒れるふたりの上に、何も知らない雪が舞い降りては地面の赤い染みを覆い隠していった。

<完>

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