堕天使レーナの平凡な朝

「墜落天使レーナ」番外編


 エレーヌ・ヴァランタン、通称レーナの朝は早い。
 夜が明ける頃には目が覚めるから、五月半ばの今の時期はだいたい五時過ぎだろうか。もっとも、天使や悪魔といった存在には睡眠は決して必要なものではない。それは食事も同様なのだが、たいていの堕天使は地上で過ごす時には周囲の人間に生活習慣を合わせることが多い。
 睡眠場所として与えられているリビングのソファベッドから起き上がり、欠伸を一つ。南向きの窓に掛かったカーテンには、夜明けの空の薄白んだ光がかすかに透けていた。まだ朝日が直接差し込んでくる時間ではない。
 毛布を畳んでソファベッドを起こし、立ち上がって薄暗いリビングを見回す。途中、羽卯(はう)の寝室の扉で視線を止める。朝に弱い羽卯はまだぐっすりと眠っていることだろう。彼女の親友の久那和(くなやまと)から提供された講義時間割によれば、今日は週で唯一、一時限目の講義がある日だ。
「やれやれ、今日もきっと一苦労なのです」
 独り言を軽く呟きながらも、それが僕(しもべ)の務めと割り切って、窓際に歩み寄ってカーテンを開ける。
 実際のところ、羽卯とレーナは正式に魂の授受契約を交わした主従ではないから、羽卯の僕というのはレーナの自称でしかない。それどころか一度はっきりと契約を断られているが、レーナはまだ諦めていない。こうして羽卯を居候させてくれているのだから脈はある、そう信じていた。それまでは試用期間と思って、多少の望みなら叶えてやるつもりだった。
 レーナは決意を新たにするように両手の拳を握りしめると、フリルの付いた黒いワンピースの寝間着からいつものゴシックロリータへと瞬時に服装を切り替えた。

レーナ
イラスト:クロト様

 さて、と張り切ったところでやることはそれほど多くもなかった。朝食に凝ったものを作ると「朝からこんなに食べられない」と低血圧の羽卯に怒られてしまうから、時間をかける意味もない。洗濯をするにも、毎朝やるほどの量はない。
 何気なくテレビをつけてみるものの、こんな早朝からさほど面白い番組をやっているわけでもない。ニュース番組が時折告げる陰惨な事件からは、この時代にも悪魔の需要がそれなりにあるのではと思える面もある。それでも、最初の主人を羽卯と定めているレーナにはどうでもいいことに変わりはなかった。
「さて、そろそろ朝ご飯の支度をして羽卯姉さまを起こすのです」
 羽卯から朝食は要らないと言われているのだが、そうはいかない。少しでも食べてもらわなければ。レーナは朝のニュース番組を流したまま、ソファから立ち上がった。


 時刻は八時前五分。レーナは羽卯の寝室の前に立っていた。今日もミッションの時間だ。
 扉には鍵がかかっている。もちろん、これくらいはレーナの力を持ってすれば簡単に開けられる。魔除けも何も施されていない普通の扉など、天使や悪魔には何もないのと同じこと。
 だが、その鍵をちょちょいと開けて部屋の中に入って羽卯を起こし、今度やったら叩き出すと言われたばかりだった。羽卯はやると言ったら必ずやるし、羽卯の妹の芽生の件で逆鱗に触れたレーナは実際に追い出された。
「さて、どうしましょう」
 中に入るなと言われた以上、部屋の外から羽卯を起こすしかないのだが、大声で呼びかけたくらいで効果がないのは実証済みだ。扉越しに物を動かすことくらいはできるから、布団を引き剥がすという手もあるが、寒さで目が覚めるような時期でもない。春眠暁を覚えず、だ。
 ならば。
 扉の向こうの時計を少しいじることにしよう。おそらくはもう少し遅い時間ギリギリにセットされている目覚まし時計の針をちょちょいと動かしてベルを鳴らすのだ。
 レーナは目を閉じると意識を集中させた。扉の向こう、羽卯のベッド周辺の光景がまぶたの裏にぼうっと浮かんでくる。さらに視点を絞り、脇に置かれた引き出しつきのベッドサイドテーブルに意識を向ける。その上には眼鏡とアルミ製の目覚まし時計が置かれていた。
 いよいよ時計に細工を施す作業の始まりだ。ここからはとりわけ繊細な集中力が必要となる。そっと時計に手を伸ばすイメージを浮かべる。その手が、アルミニウムの冷たい感触を伝えてくる。
 そこで深呼吸を一つ。間に扉があることも計算に入れて制御した力を送り込む。
「……あれ?」
 目覚ましの針を動かすはずが、何故か時計本体の足が滑るように動き――
 ゴン!
 扉の向こうから鈍い音。次いで、
「いったああああああああい!」
 乙女らしからぬ悲鳴が上がった。


「……時計が飛んでくるなんて、普通なら考えられないことだわ。レーナ、私が寝てる間に地震でもあった?」
 側頭部を濡れタオルで冷やしながら、羽卯がリビングのテーブルに着いた。
「そ、そうですね。少々、強かったのです」
 レーナは視線を羽卯から外して空とぼけるが、空いた右手でコーヒーを啜る羽卯はレーナの不審な仕草には気がつかない。
「やっぱり。もう少し離して置いたほうがいいのかしら。でもそうすると届かないし」
「……うう、私としたことが。力の加減を間違えたのです」
「何か言った?」
 トーストにマーマレードを塗っていた羽卯がレーナの独り言に反応する。
「いえ、何も。それより姉さま、時計は起きないと届かないくらいの場所に置いたほうが効果があると思うのですよ。それでなくても姉さまは寝起きが悪いのです。今日もこの時間に起きてくださらなければ朝ご飯が無駄になるところだったのですよ」
 レーナは勢いよく捲したてて動揺をごまかした。
「だから朝食は要らないって……まあ、目が覚めた以上は癪だから食べるけど」
 羽卯がトーストを囓りながら悔しそうに言った。とても行儀がいいとは言えない振る舞いだが、指摘するのはやめておいた。藪蛇になりそうな気がしたのだ。飛んできた時計に安眠を妨げられたのがよほど不愉快だったのだろう。


「それじゃ、私が帰るまで大人しくしてるのよ」
 羽卯が大学に出かけるのを玄関で見送った後、レーナはほっと安堵の溜息をついた。
 危うくまた追い出されるところだった。久し振りの地上で感覚が掴めないとは言え、とんだ失態だ。
 レーナは自分の頬を両手でパチンと軽く叩き、朝食に使った食器を洗っておこうとリビングを経由して台所に向かった。途中、羽卯の寝室のドアが半開きのままになっていることに気がついてふと覗いてみる。ベッドの上の掛け布団が起きた時のまま乱雑に投げ出されていた。整えておこうと部屋の中に足を踏み入れる。勝手に鍵を開けて入るなとは言われたが、既に開いているのだから問題あるまい。それでも思わず抜き足差し足になってしまうのは何故だろうか。
 ベッドに辿り着いたレーナは、床に何かが落ちているのに気がついた。
「……」
 レーナが羽卯の頭に直撃させたアルミ製の目覚まし時計だった。しかし、文字盤を覆っていた透明プラスチックのカバーはひび割れ、二本の足の片方は根元から折れ、そして上部についていたベルは本体から外れて近くに転がっている。要するに、見るも無惨な姿だった。安眠を妨害された羽卯が腹立ち紛れに投げつけたのだろう。もしかしたらこれが頭に激突した痛みの中で思わず跳ね飛ばしたのかもしれないが。
 いずれにしても、もう少し波乱のない起こし方を考えようと誓うレーナだった。


     あとがき


 こんにちは、林原悠です。
 今回お届けするのは、ブログにて連載中のオリジナル小説「墜落天使レーナ」の番外エピソードになります。
 本編すらまだホームページにまとめていない状況で番外編を先に出した理由は、途中に出てきたレーナこと堕天使エレーヌ・ヴァランタンのイラストにあります。このイラストはFC2ブログのとあるコミュニティ企画でクロト様が描いてくださったイラストなのです。ブログでは既に紹介させていただいておりますが、この度、頂き物としてこちらホームページにアップするに際して、私がショートストーリーを添えさせていただきました。
 このように、当サイトではイラストを大募集いたしております。私の描いているオリジナルや二次創作の小説の挿絵や関連イラストはもちろん、私の好みそうなものであれば何でも構いません。挿絵をくださった方には小説のリクエスト権を進呈したいと思いますし、その他のイラストについては、今回のように私がショートストーリーをつけて紹介させていただきます。我こそは思われる方は、こちらのフォームからどうぞ。

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