花梨がエプロンに着替えたら


 よく晴れた日曜日の朝だった。
 その日の俺は初夏の柔らかい日差しが注ぐ中、気持ちよく惰眠を貪っていた。今この瞬間にいきなり死んでしまっても、迷わず成仏できるだろうと思える心地よさ。眠っているとも目を覚ましているともつかない意識の狭間で、寄せては返す波に身を任せる。これがまた格別なのだ。熟睡してしまってはこの瞬間の心地よさを味わうことはできない。
 ピンポーン。
 その至福の時間を破る忌まわしい音が意識の底でかすかに聞こえる。
 ピンポーン。
 覚醒に向かう脳が外界からの刺激に対する反応を強めていく。
 ピンポーン。
 ずいぶんと落ち着きがないな。せっかくの休みだ。そんなにせっつかなくてもいいだろ。
 ようやく重い頭を枕から浮かせ、眠い目を擦りながら鈍重な動きでベッドから這い出そうとしていると、嵐のようなチャイム音の連打が耳を襲った。
「うわああああああ!」
 慌てて飛び出し、階段を駆け下りる。誰だ、こんな朝から……などと考えるまでもなく、過去の経験から反射的に答えを弾き出し、取りあえず叫んでおく。
「このみ、すぐ開けるからやめろ!」
 一階にたどり着いたところで近所迷惑この上ないチャイムのラッシュはピタリと止まった。玄関先に常備してあるサンダルをつっかけ、来訪者に声をかけながらドアを開ける。
「こんな朝から何のつもりだ、この……」
 最後まで言い切ることはできなかった。だって、その場にいたのは自分が想定していたお隣さんではなかったから。
「えっと……笹森さん、おはよう。どうしたの?」
 日曜の朝の心地よい眠りを妨げたのは、意外にも笹森花梨だった。それはいいのだが、花梨は不機嫌そうなふくれっ面で俺を睨んでいる。ドアを開けるまでに時間がかかったからだろうか? だが、何の約束もなくいきなり訪ねてきたのだ。休日の朝に寝ていたからって責められる謂われはないはず。ミステリ研の活動……という名目のデートって今日じゃないよな? 映画を観に行く約束は確か来週だよな? これだけ強く睨まれると自信がなくなってくるんだが。
「ごめんごめん、そんなに怒るなよ。仕方ないだろ、寝てたんだから」
 花梨の怒りが収まった様子はない。そんなに腹が立ったのか。
「……よく来るんだね」
 ゾクリ。底冷えする声に周囲の空気が凍りつき、地面に落ちて砕ける音が確かに聞こえた。言葉の意味はよくわからないが、とにかく凄い迫力だ。
「な、何を怒っているのかな?」
「このみちゃん、よく来るんだね」
 そこでようやく自分の失言に思い至った。当然のように来訪者をこのみと断定したこと。その結果、ドアの向こうで待っている花梨をこのみと呼んだこと。やきもち焼きの花梨がここで怒らないはずがなかった。むしろ怒ってこそ花梨だと言ってもいい。
 ジーザス……。数分前までの夢見心地が跡形もなく霧散するのを肌で感じつつ、俺は諦めに満ちた思いで天井を仰いだ。


「……で、今日はいったい何しに来たんだ?」
 ひとまず花梨をリビングに通し、冷えた麦茶をおずおずと差し出した上で、俺は尋ねた。うう、後頭部がまだ痛む。
 ちなみに、こんな朝早くに何の用だ、などと思っていた俺は、リビングの時計を見て既に昼と呼んだほうがいい時間であることを知って愕然とした。
 ぷいっとそっぽを向いていた花梨が猫のような目でギロリとこちらを睨んだ。
 ああ、こんなことならたまごサンドくらい常備しておくんだった……。
「たかちゃん独りだと心配だから……」
 俺はむしろ今のこの状態のほうがずっと心配だよ。
「お休みの日くらいご飯を作ってあげようかなって思ったのに……」
「え、笹森さんって料理できるの!?」
 花梨の首がゆっくりとこちらへ向き直る。目からビームが出て跡形もなく消し飛ばされても何の不思議もないくらいに強烈な視線だ。ヤバい、また地雷踏んだか。
(映像が乱れています。しばらくお待ちください)
 ただいま生傷増量中の俺を見下ろしながら、すっかりへそを曲げた花梨が言った。
「いつもこのみちゃんが来てくれるんだったら、花梨は必要なかったね」
「いや、このみの場合、まともに作れる料理はカレーだけだから……」
「ふうん、カレーは作ってくれるんだ」
 ……恐るべき失言スパイラル。蟻地獄に落ちた蟻が朽ち果てる己の身を呪うかのような気分だった。今日の運勢は間違いなく最凶だな。


 アイアンクロー直後の雄二さながらに俺がソファーに崩れ落ちるのを見届け、花梨はパンパンと手を叩くと、鼻歌なんか歌いながら持ってきたバッグを漁り始めた。中から黄色いエプロンを取り出す。マイエプロンとは準備がいい。
 花梨が手早く身に着けたそのエプロンを見ると、胸の部分に例の髪留めと同じデザインのアップリケがでかでかと縫い付けられている。
 手製なのか? まさか市販されているわけじゃないよな、そんな疑問を感じないわけでもなかったが、花梨のエプロン姿は意外と様になっていた。
「へえ、似合うもんだね」
 思わず漏らすと、花梨はほんの少し頬を膨らませた。
「何だか言葉に含みを感じるなあ」
「え? あ、いや、そういう意味じゃなくて。思わず見とれちゃっただけだから」
 慌てて言い繕うと、花梨はもじもじしながら照れ笑いを浮かべた。
「そんな、見とれるだなんて」
 セーフ。何とか宥めることに成功したようだ。あ、見とれてしまったのは本当だぞ。
「うんうん、素直なのはいいことだよ。じゃあ、キッチン借りるね」
 花梨はすっかり上機嫌になって、今にも踊り出しそうな足取りでキッチンへと向かった。その手に提げている買い物袋を見て初めて、花梨がいろいろと材料を持ってきてくれていたことに気がついた。
 俺のことを気にかけてそこまでしてくれたのに、寝起きだったとは言え、さっきの応対は少し酷かったかと反省。
「何を作るの? たまごサンド?」
「たかちゃん、私がたまごサンドしか作れないと思ってるの?」
 たまごサンドすら作れないと思っていた、などとは口が裂けても言えない。これ以上失言を重ねたら、タマ姉が菩薩に見えるくらいの地獄が待っていると断言できる。それこそ、すべての地獄を見た後で本当の地獄に送られそうだ。
 と、頬を膨らませて抗議の意を表していた花梨がぺろりと舌を出した。
「……と言ってもそんなに凝った料理が作れるわけでもないんよ。今日のところは取りあえず酢豚を作るつもり」
 まっとうな料理なんてやったことがない俺から見れば、酢豚でも十分凝った料理だと思う。第一、性格に多少難があるとは言え、可愛い彼女の作る料理だ。毒でさえなければありがたく頂くさ。
「ねえねえ、たかちゃん、お米切れてるの? 見当たらないんだけど」
 流しの下の収納スペースを開けてがさごそ漁っていた花梨が聞いてきた。
「あー、そういえばなかった気がする」
 最後にご飯を炊いたのがいつだったか忘れたが、このところスーパーの弁当などで済ませていることが多いのも米がなくなったのがきっかけだったような。
 米くらい買えよなんて言わないでくれ。それくらい自分でもわかってんだから。
「困ったなあ。いくらたかちゃんでもお米くらいは常備してると思ったから持ってきてないんよ。買いに行かなきゃ」
 花梨は困ったようにそう言った。「いくら……でも」はちょっと酷い。事実だけに言い返せないが。
「いいよ。春夏さんに頼んで分けてもらってくるから」
 そう言いながらソファーから起き上がった俺の耳に、花梨の重く冷たい声が響いてきた。
「春夏さんって、誰?」
 またか、またなのか!? 恐る恐るキッチンのほうを振り返ってみる。
「&#@≦▼%→☆」
 言葉にならない恐怖が口から迸った。
 エプロン姿こそファンシーな花梨だったが、右手に包丁を持ってじっとりとした目でこちらを見据えていた。エプロンに縫い付けられたアップリケが今は髑髏にしか見えない。
「わあああっ!! 笹森さん、落ち着いて! は、春夏さんはこのみの所のおばさんで、ほら、お隣さんだから頼めば米くらい分けてくれるだろ! ただそれだけだから!」
「なんだ、このみちゃんのお母さんの名前なんだね。さすがにそこまでは調べてなかったよ。で、たかちゃんはどうしてそんなに慌ててるの?」
 きょとんとした表情の花梨の予想外に気抜けした声が聞こえてきた。
「え? あ、いや、ほら、包丁持ったまま歩き回ると危ないよ」
 言えない。刺されると思ったなんてとてもじゃないが言えない。
「ああ、これね。先にお野菜とか切っておこうかと思って。じゃあ、お米、このみちゃんの所からもらってきてくれるんなら、任せていいかな」
「わ、わかった……」
 何だ、気のせいか。いや、拗ねていたのは確かなんだろうけど、さすがにそれくらいで流血沙汰にはならないか。
 どっと疲れた体を引きずりながらリビングを後にする俺を、花梨は不思議そうに見ていた。


「あら、たかくん。待ってたわよ」
 春夏さんは会うなりいきなりそう言い放った。待ってた?
「もちろん、言ってもらえればお米くらい分けてあげるわよ」
 用件までご存知ですか。
「それにしても今日はずいぶんと賑やかね」
「聞こえてましたか」
 それは近所迷惑というか、恥ずかしいところを晒してしまったようだ。
「『おばさん』ってところまでしっかり」
 ……本日は全国的に失言デーのようです。今日は俺の命日なのだろうか? 草壁さんでもるーこでも、どっちでもいいから教えてくれ。
「はい、たかくん、お米。ちょっと重いかもしれないけど頑張って持って行ってね」
 春夏さんがそう言いながら、足元にある重そうな米袋をポンポンと叩いた。
 ああ、さっきから気にはなっていたさ。でも、まさかそのまま渡されるなんて思わないだろう? だって、その米袋は三十キロくらいありそうなんだから。
「あの、春夏さん。取りあえず二人分あれば十分なんですけど……」
「頑張って持って行ってね」
 目が笑っていない。こういう時に逆らうのは厳禁だ。そんなことをしたら○○の○から味噌汁突っ込まれる恐れがある。
「ありがとうございます」
 多少は引きつっていたかもしれないが、俺は笑顔で礼を言って米の詰まった袋を抱え上げた。……重いだろうなとは思っていたが、これは予想以上に重い。
「他に足りないものがあったら遠慮なく言ってね」
 声だけはやたらと明るい春夏さんに見送られながら、俺は柚原家を後にした。


「ぜえぜえ……」
 玄関にたどり着いた頃には息も絶え絶え、汗もだくだくの状態だった。いかに推定三十キロの米袋とはいえ、たかだか隣の家から運んだ程度でこれだ。もう少し体力をつけた方がいいと実感する。
 と、その時、玄関先においてある電話が鳴り出した。上がり框に米袋を下ろし、受話器に手を伸ばすが、あと少しというところでベルが鳴りやんだ。
「もしもし」
 リビングのほうから甲高い声が聞こえてきた。って、何で花梨が出るんだよ。
「……え? あ、はい、河野ですが」
 どうやら電話の相手の不審を買ったらしい。そりゃ戸惑うだろう。知っている人間だったら、この家には俺ひとりしかいないことはわかっているはずだし、河野家に女の子がいないことくらいは把握しているだろうから。
「ああ、お母様ですか。私、笹森花梨と申します。貴明君にはいつもお世話になってます」
 え、母さんから? 何普通に応対してんだよ。と言うか、お母様って何だ。早くこっちに受話器を渡してくれ。
「はい、少々お待ちください」
 俺の願いが通じたのか、それとも母さんが促したのか、花梨はそう断った後、リビングのドアからひょっこり顔を出した。俺が靴も脱がずに玄関に突っ立っているのを見つけ、よく響く声で言った。
「たかちゃん。ちょうどいいところに帰ってきたね。電話だよ。お母様から」
 わかってる。花梨から子機を受け取ってボタンを……って、保留してないじゃないか。
「もしもし」
『今のコはいったい誰かしら、たかちゃん?』
 ……しっかり聞こえていたようだ。そりゃ、隣の春夏さんの所まで届く声だからな。
「ええっと、学校の……友達」
『ふうん、友達ねえ』
 あ、絶対電話の向こうでほくそえんでる。そりゃそうだよな。息子に電話をかけたら女の子が出たのだ。このみやタマ姉ならともかく知らない女の子。そこで「ただの友達」はいくらなんでも無理がある。
『貴明もやるようになったわね』
「そ、そんなんじゃ……」
 ないこともないか。花梨が俺の彼女なのは事実だ。
『何? 両親の留守をいいことに女の子連れ込んだんじゃないの? 違うんだったらそっちの方が問題よ。本気でただの友達だって言うんなら男として神経疑うわ。雄二君に気をつけなさいって言わなきゃならなくなるじゃない』
 どういう意味だよ。そりゃ、フラグを片っ端から折っていけばそういう可能性もあったかもしれないけど……じゃなくて。
「連れ込んだんじゃなくて押しかけられたと言うか……」
『はいはい、そんなことは聞いてない。あんたが自分から女の子を家に連れ込むような気の利いたことができないことくらいわかってるから。心配して料理でも作りに来てくれたんでしょ? どうせ普段からろくなもん食べてないだろうし』
 ……うちの母親はニュータイプなのか?
『ちょっと猫被ってる感じがしたけど、いい子そうじゃない。よろしく言っといて』
 ははは、母さんは賢いな。……っと、そんなわかりにくい台詞で現実逃避している場合ではなくて。
「あー、それで何か用?」
 気恥ずかしさから素っ気ない口ぶりになってしまうのは仕方がないというものだ。
『何か用とはご挨拶ね。強いて言えば生存確認かしら』
「おかげさまでちゃんと生きてるよ」
『そうみたいね。ひとまず安心したわ』
 そんな調子で他愛もない話や事務的な会話を二、三交わす。
『じゃあ、国際電話も安くないからそろそろ切るわね。春ちゃんとこのみちゃんによろしく。もちろん、花梨ちゃんにもね』
 母さんがそんなことを言って話を切り上げた。最後の部分にからかうような響きがあったのは言うまでもない。
『そうそう。やることやるのは構わないけど、あんまり早まるんじゃないわよ』
「な、何言ってんだよ!?」
『さあ、何のことかしらね』
 母さんはそう言ってけらけら笑いながら電話を切ってしまった。
「……」
 はあ、そういえばこういう母親だった。


 米袋を抱えてリビングに入ると、キッチンのほうからトントンと軽快な音が聞こえてくる。視線を向けると、花梨が意外と慣れた手つきで野菜を切っていた。が、リビングのドアを閉める音で俺に気づいた花梨は手を止めて振り返った。
「あ、たかちゃん、電話終わったんだ」
 花梨の顔を見た途端にさっきの母さんの台詞を思い出してしまった俺は、顔を逸らしながら曖昧に頷いて電話の子機をスタンドに戻した。視界の端で花梨がわけもなくはしゃぎながら、俺の抱えてきた米袋を見下ろしている。
「うわあ、ずいぶんたくさん分けてくれたんだね。二人分あれば十分だったのに」
 俺もそう言ったんだけどな。もはや「分けてもらった」というレベルではない気がするし。
「でも、これだけあれば当分はたかちゃんも飢え死にしなくて済むね」
「俺は別に食糧難に喘いでいるわけじゃないよ。生活費くらいちゃんともらってるから」
「そうじゃなくて、ご飯くらい自分で炊かないとダメだよ。毎晩私が作りに来るわけにも……あ、それもいいね」
 冗談じゃない。ちょっといいかもって思ってしまったけど、却下だ、却下。そんなことしたら柚原家には即座にバレそうだし、そうなったら雄二やタマ姉、母さんにも筒抜けになるに決まってる。特に雄二なんかに知られた日には、あっという間に学校中に広まってそうだ。
「うんうん、そうすればたかちゃんに変な虫がつかなくていいかもね」
「笹森さん!」
「なんてね。それじゃあ、早速ご飯を炊くから、そのお米、台所に持ってきて」
 からかわれたとわかった時には、花梨は既に鼻歌を歌いながら台所に向かっていた。


「じゃーん! 出来上がりーっ!」
「おおっ!」
 食卓に並べられた料理は思わず歓声が零れる出来映えだった。中央にはメインディッシュの酢豚が鎮座し、その他にサラダとスープ、そして湯気の立つご飯。
 手際よく料理する様を横目に見てはいたものの、何しろ花梨のことだから、正直ちょっと心配していたのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。もちろん、こんなこと口に出しては言えないが。
「そんな、あからさまにほっとした表情をされると何だか傷つくなあ」
 花梨が頬を膨らませて言った。うう、口に出さなくてもバレバレですか。
「ご、ごめん……そういうつもりじゃ」
「いいよ。期待してなかったことをたっぷり後悔させてあげるから」
 そう言って花梨は食卓の片側に着席した。促されるように俺も反対側に腰を下ろす。
「じゃあ、いただきます」
 作法に則って、まずはスープを一口。中華料理屋の定食なんかでよく見かける卵のスープだ。片栗粉でしっかりとろみもつけてある。
「……うまい」
 思わず率直な感想を漏らすと、花梨は向かいの席で小さく息をつき、テーブルの中央に据えた酢豚を取り皿に装って俺のほうに差し出してくる。
「ほらほら、こっちも冷めないうちに食べて」
「あ、サンキュ」
 早速、箸を取り、主役とも言うべき肉を一切れ、つまんで口に運ぶ。
「……うまい」
 口をついて出たのはさっきと同じ感想だった。もう少し気の利いたことが言えればいいのだろうけど、いざこういう場面になると言葉が出てこない。
 しかし、それでも花梨は安堵の表情を浮かべ、ようやく自らも箸を手に取った。どうやら、俺に料理を作るというのは、花梨にとってそれほど緊張するものだったらしい。それを思うと、今すぐ抱きしめてやりたい気持ちになった。


「ごちそうさまでした!」
 手を合わせて一礼。普段よりも声が大きくなったのは満足感の表れだと思う。
「いやあ、おいしかった。笹森さんって料理上手なんだね。ちょっと意外だったよ」
「む、意外は酷いんじゃない? そりゃ、期待してないのはわかってたけどさ。だいたい、どうして私が料理できないと思ったの?」
 いつものように頬を膨らませ、猫のような目でじろりと睨めつける花梨だったが、それでもかすかに口元が緩んでいるのは、俺が料理の腕を褒めていることくらいは伝わっているからだと思いたい。
「だって、笹森さんってお昼はいつもタマゴサンドだろ。お弁当持ってきてるところなんて見たことないし。食生活偏ってるんじゃないかって勝手に思ってた。俺が言えた義理じゃないけどさ」
「そ、それは……私、朝が苦手だからお弁当作る時間なんてないから」
 そう言って花梨はそっぽを向いてしまった。やれやれ、ちょっと言い過ぎたかな。
 背中を向けた花梨に近づいて、癖っ毛の髪を柔らかく撫でる。
「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。料理上手なのに、ちょっともったいないなって思って」
「もったいない?」
「あ! いや、その……何でもないから」
 今度は俺が恥ずかしさに顔を背ける番だった。


 翌朝、校門をくぐって校舎に向かっているところで、前方に見慣れた髪飾りの少女が目に入った。が、その後ろ姿はいつになく力がない。昨日、朝が苦手とは聞いたが、これほどまでとは知らなかった。
 それはともかく、せっかく朝から会ったんだし、声くらいはかけておくか。
「笹森さん、おはよ……って、どうしたの!?」
「ん? ……ああ、たかちゃん、おはよう」
 どんよりとした目は朝から疲れている。いつも元気だけは人の三倍くらいある花梨だけに、これはちょっと異常だ。
「体調悪いの? それとも寝不足? 夜更かしでもしてたんじゃない?」
 ついつい質問攻めにしてしまうが、花梨は何でもないと言って、最後に付け加えた。
「たかちゃん、昼休みになったら直ちに部室に集合ね」
「じゃあ、食堂に寄ってパンかなんか買ってから行くよ。笹森さんにもタマゴサンド……」
「何も買わなくていいからすぐに来て」
 それだけ言い残すと、ゆらりと教室へと向かっていった。


 昼休み。
 花梨に言われたとおり、授業が終わってすぐに部室へと向かった。遅くなったら何と言われるかわかったものじゃない。
 部室に着いてみると、まだ花梨は来ていないのか鍵がかかっていた。隠してある鍵を取り出し、部室に入って待つことにした。
 やがて、勢いよくドアが開いて花梨が入ってきた。
「お待たせっ! たかちゃん、先に来てたんだね。えらいえらい」
 朝の絶不調ぶりが嘘のような、いつもの笹森花梨だった。
「で、今日はいったい何の活動?」
「じゃーん、これ何だ?」
 花梨は俺の質問には答えず、手に持っていた包みを差し出した。
「何って……え、もしかしてお弁当!?」
「そっ。たかちゃんが私のお弁当食べたくて仕方ないって感じだったから、がんばって早起きして作ってきたんよ」
「もしかして、それで朝はあんなに疲れてたの?」
「うん、さすがに慣れないことするとね。でも、たかちゃんの言う通りだね。お弁当を作ってきて一緒に食べる、うん、こういうイベントを外すのはもったいないよね」
 にかっと笑った花梨の表情は、俺の大好きな向日葵のような笑顔だった。何というかもう、完敗だ。
「というわけで、今日の活動は屋上でお弁当を食べることにしまーす!」
「賛成!」
 身を翻して部室を飛び出していく花梨。俺は追いかけるようにその後について行った。
 今日もいい天気だ。


     あとがき


 以前から予告していた「ToHeart2」、ようやく出すことができました。例によって我らがミステリ研会長・笹森花梨のお話です。
 実際のところ、花梨は料理ってどうなんでしょうね。手先は器用なようですから、意外と得意なのではないかと思っていますが、皆様のご意見やいかに。
 前半のドタバタに対して、後半は何だか大人しめになってしまいました。だったらいっそのこと甘みを増しておけばよかったのかもしれません。
 ちなみに、酢豚って一から作ると結構面倒なんですよね。揚げたり炒めたりしないといけませんから。油ものは後始末が大変ですしね。
 そんなわけで、林原の会長への愛が皆様に伝われば幸いです。

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