幽霊がいっぱい


 栞が死んだ。
 同じ日、もしかしたら前の日かもしれないけれど、その数時間前に相沢君も死んだ。
 それからもう一か月半ほどが過ぎた。
「もうすぐ三学期も終わりか……」
 あたしは深い溜息をつき、重い足取りで学校への道を辿っていた。
「あたしに妹なんていないわ」
 今は亡き少年に妹のことを問われた時、あたしはそう答えた。目の前で妹を失うのが怖くて、栞から目を逸らし続けていた。初めから妹がいなければ、辛い思いをしなくて済むのだと思い込もうとしていた。
 しかし、そんなのは都合のいい欺瞞だった。栞が死んだ時、あたしはその自分の行動を激しく後悔した。後を追って死のうかと思ったことも一度や二度ではない。
 何日も学校に行けない日が続いた。聞けば、従兄弟を失った親友も自分と同じように鬱ぎ込んで学校を休んでいたそうだ。お互いどうにか学校に通えるくらいまで落ち着いたものの、今まで通りというわけにはいかなかった。
 栞の大好きだった学校が、今はすべての輝きを失って灰色に塗りつぶされてしまったような感じがして、あたしはもう一度深い溜息をついた。
 その時だった。
『祐一さんから離れてください!』
 決して忘れることなどできない声が聞こえ、あたしは俯けていた顔を上げた。
『……断る』
 静かな、しかし強い意志を伴った声がそれに応える。
『あははー、祐一さん、人気者ですね』
『頼むから栞も舞もケンカはやめてくれよ。佐祐理さんも笑ってないで止めて』
 そして、あの少年の声。
 幻聴だろうか。辺りを見回す。
 路地の片隅で一人の少年の腕を引っ張り合っている二人の少女、そしてその傍らでにこにこ笑っている少女がもう一人。どこにでもありそうな微笑ましいじゃれ合いなのだが、そこによく知っている顔を見つけて心臓が止まるかと思った。
「栞……それに相沢君?」
 間違いようもない、妹の栞だった。そして両側から腕を引っ張られている少年はかつてのクラスメイト、相沢祐一。
 何ということだろう。あまりのショックでついに幻覚まで見えるようになってしまったのだろうか。
 栞と相沢君を奪い合っている女性は、着ている制服のケープの色から上級生だとわかった。川澄舞という名前だったと記憶している。相沢君がずいぶんと親しくしていたようで、生徒会主催の舞踏会にも一緒に出席していたと聞く。だが、その川澄先輩も彼と同じ場所で死体となって発見されたはず。
 あの事件はかなり衝撃的だった。夜明けの中庭で死んでいた二人の生徒。二人とも剣、それも自らが手にしていた剣によって致命傷を得ていたから、警察では無理心中の可能性も想定していたようだ。結局、捜査を進めるうちに、相沢君のほうは何かの弾みで誤って自らを傷つけたらしいことがわかった。ただし、川澄先輩に関しては自殺の可能性が高いらしい。原因不明の打撲や切り傷も多数見られたが、致命傷は自分の意志によるものと考えられるそうだ。
 そして三人の傍らで花が咲いたように微笑んでいるのは確か倉田先輩……って、あれ?
 あたしの記憶が確かなら倉田先輩はまだ生きているはずだ。相沢君たちが死体で見つかった前々日の晩に何故か学校で重傷を負って病院に搬送された。
 その事故あるいは事件に川澄先輩たちが関わっているとの見解もあり、その責任を感じての自殺だと考える者もいるようだ。しかし、倉田先輩は今も意識不明の重態ではあるものの、亡くなったわけではないはず。生きている先輩の幽霊が見えるなんて、いくら幻覚でも不謹慎ではないか。
『祐一さんは私のものです』
『……違う。祐一は私のために死んだ』
『そういうの、普通は舞さんのせいで死んだって言うんです』
『それに佐祐理と三人でいるって約束した』
『あははー、でも佐祐理はまだ死んでないよ。ただ病院で眠っているだけだから』
『だったら今度迎えに行く』
『舞! 縁起でもないこと言ってるんじゃない』
 にしてもずいぶんと賑やかだ。近くを行き交う通行人たちは気づいていないのだろうか。それとも、通学途中の学生たちによる日常のありふれた会話として聞き流しているのだろうか。しかし、それにしては会話の内容が穏やかではない。やはりあたしにだけ見える幻覚なのだろうか。
『祐一君っ!』
 更にどこからともなく羽付きリュックを背負ったダッフルコートの少女が現れて相沢君の背中に飛びついた。本当にどこから現れたのだろう。
『あゆ、もっと普通に登場しろっていつも言ってるだろ!』
『うぐぅ、ボクはいつも普通だよ。気づかない祐一君が悪いんだよ』
『あゆさん、おはようございます』
 栞は、あゆと呼ばれた少女ににこやかに挨拶をしている。
 その時、あたしの視線に気づいたのか、倉田先輩がふとこちらを振り向いた。ばっちり目が合ってしまう。倉田先輩はまっすぐあたしを見つめてくる。沈黙に耐えきれずにすっと目を逸らしてしまった。
『あら、そこのあなた、佐祐理たちが見えるんですか?』
 倉田先輩が明るい声で尋ねてきた。それに反応してその場にいた「幻覚」が揃ってこちらを振り向いた。
『あれ、香里じゃないか』
『……知り合い?』
 ポツリと川澄先輩が尋ねる。
『お姉ちゃんですぅ』
 こちらへまっすぐ向かって来る相沢君と栞。足はちゃんとあるものの動いていない。どうやらほんの少し地面から浮いているようだ。他の三人もその後をついてくる。そうか、幽霊は自分が見える人間に寄って来るって言うけど、こういうことだったんだ。そんなことを考える私は、既に彼らの存在 そのものには何の疑問も持たなくなっていた。
『お姉ちゃん、会いたかったです』
 生前とまったく変わらない屈託のなさで、栞はあたしに飛びついてきた。当然と言うべきか、栞はそのままあたしの体を素通りしてしまい、照れ笑いを浮かべながら戻ってきた。
『えへへ、久し振りにお姉ちゃんに抱きしめて欲しかったんだけど、やっぱり無理でした』
 その栞の言葉を聞いて、あたしは胸が締め付けられる思いがした。最後に栞を抱きしめてあげたのはいつだったろう。栞の病気が治らないと知らされて以来、妹なんていないと言い聞かせながら栞を蔑ろにしてきたあたしだから。
『そんなことないよ。お姉ちゃんは私が死んだ時、ずっと抱きしめていてくれたでしょ』
 もう、ダメだった。溢れてくる涙をこれ以上抑えることはできそうになかった。
 目の前にいる栞はあたしの罪悪感が生んだ都合のいい幻かもしれないけれど、こうしてまた栞に会わせてくれたことを奇跡と感じずにはいられなかった。
「栞、ごめんなさい。あたしが間違ってた。あなたが苦しみながら戦っている時に突き放すなんて、酷いお姉ちゃんよね。許してなんてとても言えないわ。呪われたって仕方ない。でもね、せめて謝らせて。ごめんなさい、ごめんなさい」
 恥も外聞もなくその場に泣き崩れたあたしを、何かがそっと包み込んだ。そこには人肌の温もりはなかったけれど、栞が抱きしめてくれているだと確かに感じていた。
『お姉ちゃんは悪くないよ。そりゃね、生きてた時は悲しかったし、恨みそうになったこともあるけど、お姉ちゃんだって辛かったんだよね。だから、お姉ちゃんはもう笑っていいんだよ。私がいなくなった後の、悲しそうなお姉ちゃんを見ていることしかできなくて辛かったから、お姉ちゃんは 笑っててよ』
「栞!」
『お姉ちゃん!』
 あたしは体を起こすと、目の前にいる栞を抱きしめた。そこに存在しないはずの栞の小さな体を感じることができたのは、小さな奇跡だったのかもしれない。
『まあ、あれだ。ぼろぼろ涙流して泣いてる香里も意外性があって可愛いもんだが、やっぱりクールに笑ってるほうがずっと香里らしいもんな』
 本当に空気が読めないというか、相沢君は一度血祭りに上げる必要がありそうね。幽霊って殴れるのかしら?
「相沢君、姉妹の感動の場面を邪魔しないでくれるかしら」
『おっ、すっかりいつもの香里らしくなったじゃないか。そうそう、香里はやっぱりそうでなくっちゃ。よかったな、栞』
『はいっ!』
 どうやら相沢君にも心配かけていたらしい。何だかものすごく悔しい。
「だいたい、あなたたちは朝からこんな所で何してるのよ。幽霊だか幻覚だか知らないけど昼間は大人しくしてるものじゃないの?」
『そんなこと言われても、別に昼間出歩いちゃいけないなんて決まりはないし。ま、俺たちも死ぬまで知らなかったけどさ』
『そうです。いつもこんなふうに遊んでますよね』
 栞が相沢君の言葉に付け加えた。
「じゃあ、今まであたしが気づかなかっただけってこと?」
『たぶんな』
「香里、さっきから誰としゃべってるの?」
 不意に後ろから声をかけられて飛び上がりそうになる。慌てて振り返ると名雪が怪訝な面持ちで立っていた。まさかとは思うけど、泣いているところから見られていたなんてことはないわよね。
『おっ、名雪、おはよう! 相変わらず朝から眠そうだな』
『ホントだ。名雪さん、おはよう』
 相沢君とあゆちゃんが極めてフレンドリーに声をかける。でも、それに対する反応は名雪からは返ってこなかった。
「誰って、もしかして見えないの?」
「だって誰もいないよ〜」
「え、だってほら目の前に……」
 言いかけて口をつぐんだ。どうやら名雪には栞たちが見えていないらしい。だとしたら、目の前に相沢君がいるなどというのは悪質な冗談にしか聞こえないはずだ。もし逆の立場だったら、あたしはそんなことを言う人間を絶対に許せないだろう。それに、これだけ大騒ぎをしているのにあたし以外 の誰も気づいていない様子だった。
「目の前に?」
 名雪が続きを促してくる。何とかこの場を切り抜けないと。
「ううん、何でもないわ。早く行かないと遅刻するわね」
「香里、もしかしてごまかしてる?」
 名雪の声がますます訝しげになる。名雪のくせに鋭いじゃないの。
「何でもないの。ちょっと疲れてるみたい」
 そう答えて名雪の横をすり抜けると、学校の方向へ歩き出した。
「あ、香里、待って」
『何だよ。名雪の奴、俺たちが見えてないのか』
『そうみたいだね』
 相沢君たちの声もそのままついて来た。
「ちょっと、何でぞろぞろとついて来るのよ」
『お、うまいねえ。幽霊だけに憑いて来るってか』
「冗談に聞こえないからやめてよ、そういうの」
『だって暇だから。なあ』
『そうですよ。それにせっかくお姉ちゃんに会ったんだし』
『そういえば学校に行くのも久し振りですねーっ』
『……佐祐理のお弁当』
『いや、それはさすがに無理だろう』
 ……どうやら学校まで付いて来るつもりらしい。しかも理由は「暇だから」。
「名雪には見えてないからいいとして、こんなの他の人たちに見られたらびっくりよ?」
『たぶん大丈夫だよ』
 あゆちゃんがにこにこ笑いながら両手を合わせて言った。
『今まで誰も俺たちに気づかなかったんだぜ。香里が第一号だ』
「……それは光栄ね」
「香里、さっきから何をぶつぶつ言ってるの?」
 またしても名雪に不審感を与えてしまったようだ。
「ひ、独り言よ。ほら、あたしちょっと疲れてるから」
「ふうん。何だか納得いかないけど、わかったよ」
 大人しく引き下がる名雪。ふう、まだまだね。


 相沢君の言う通り、学校に到着して教室に入るまで誰一人としてあたしの後ろにくっついている奇妙なご一行様に反応を示した者はいなかった。
『それでな、佐祐理さんはまだ生きてて、今は病院で意識不明の重体だ』
 あたしに説明しているつもりなのか、相沢君がそんなことを言っている。
『昔のボクと同じなんだよね』
 ということは、あゆちゃんも死ぬ前は病院に入院していたのか。
『でも、あの時お前は普通に物にぶつかってたし、鯛焼き食ってたよな。あれってどうやってたんだ?』
『うぐぅ、わからないよ。ボクだって自分があんなことになってるなんて知らなかったもん』
『何だよ、使えない先輩だな』
『“先輩”ってどういうこと?』
『幽霊ライフの先輩だ』
『うぐぅ、あの時はまだ死んでなかったんだよ!』
『あゆさんは先輩ですか』
『うぐぅ、栞ちゃんまで……』
 ……かなり頭が痛くなる会話だ。あたしにしか聞こえていないのが恨めしい。
「おはよう……って何だ!?」
 北川君が登校してくるなり、いきなり驚いて後ずさっている。もしかして後ろの集団が見えているのだろうか。
「おはよう、北川君」
 取りあえず普通に挨拶を返しておく。「相沢君たちが見えるの?」なんて聞いて、もしあたしの勘違いだったらあたしの精神状態が疑われる。そんなことを北川君や名雪に心配されるのは屈辱以外の何物でもない。
「おはよう。北川君、何をそんなに驚いてるの? あ、もしかしてわたしが先に来てたから? うー、失礼だよ」
 名雪はとにかくマイペースだ。
「いや、そんなどうでもいいことじゃなくてさ。なんでお前らそんなに落ち着いてんだよ!? 後ろに相沢とかその他いろいろ並んでるのに」
 あ、やっぱり見えてたんだ。
『お、北川には見えるのか。さすが、妖怪アンテナは伊達じゃないな』
『その他いろいろとは失礼です』
 栞が口を尖らせて抗議する。
 そういえばこの中で北川君が知ってるのは相沢君だけだったわね、あたしはそんなことを呑気に考えられるくらいに落ち着いていた。自分でもそれはどうかと思ったが。
「え、え、祐一がいるの? どこ?」
 名雪が教室中をぐるぐる見回している。相沢君やあゆちゃんが手を振っているんだけど、やっぱり見えてないんだろうな。
「どこって、美坂のすぐ後ろだよ。他にも可愛い女の子が何人か」
『可愛いだなんて、照れちゃいます。さっきの発言は許してあげますね』
「どこー? いないよー」
 名雪はあたしの背後をじぃっと見つめているが、やはり見えないようだ。
「北川君、気にしないで。ただの背後霊だから。他の人たちには見えてないのよ。名雪にもね」
 そう、ただの背後霊だ。ついさっきまでは浮遊霊だったはずなのに、いつの間にかあたしの背後霊。とにかく、これで幻覚説は消滅してしまったらしい。北川君と同時に同じ幻覚を見るなんて考えられない。むしろそんなこと考えたくもない。
「ただの背後霊ってのもどうかと思うが、その言い方だと美坂には見えてるわけだな」
 さすが北川君、順応が早い。きっと普段から妖精やお花畑が見えているに違いない。
「二人ともずるいよー。祐一、いるんなら出てきてよ。出てこないと晩ご飯は紅ショウガだよ」
 名雪も見えてない割には順応しているようだ。
『いや、もう俺、晩飯食わないし』
「って相沢君が言ってるわよ」
「それじゃわかんないよー」
『佐祐理みたいに意識不明になれば見えるようになるかもしれませんよー』
『いや、それは見える見えない以前に同類になってるから』
 倉田先輩が不穏なことを穏やかな調子で言って、相沢君がつっこんでいる。
「名雪、死にかけるくらいの大怪我して意識不明の重態になれば会えるかもって相沢君が言ってるわよ」
「だったらそこから飛び降りてみるよ」
 名雪が即答して窓際へ駆け寄っていく。大丈夫なのか、この娘は。
『待て待て待て。そんなことは言ってない。香里も冗談はやめて名雪を止めてくれ』
 聞こえていないのも忘れて相沢君が必死に名雪を抑えようとしている。
「名雪、やめなさい。そんなことしたら秋子さんが悲しむでしょ」
「そっか……」
『おお、わかってくれたか』
 相沢君がほっと胸をなで下ろした。
「じゃあお母さんも一緒に」
『やめろーっ!!』
 何となく会話が成立しているように見えなくもない。相沢君の言葉は名雪には聞こえていないはずなのに。
 ともかく、こんなバカバカしいことで親友がまた一人いなくなるのではたまらない。向こう陣営がこれ以上増えるのも勘弁して欲しいし。仕方ないか。あたしは名雪を引き止めながら、できるだけ優しく言い聞かせた。
「あのねえ、名雪。死ぬのってものすごく辛いことのよ」
 もちろん死んだことなどないから、本当のところはよくわからない。
「でもそれで祐一に会えるなら……」
「あのジャムを食べるよりずっとずっと辛いことなのよ」
 たぶん、と心の中だけで付け加える。
「やっぱりやめておくよ」
 即答だった。恐るべきジャムが一人の少女の命を救った瞬間だ。
「ホームルーム始めるぞ。席に着け」
 石橋先生が教室へ入ってきて、生徒たちは全員席に着いた。先生は確かめるように教室を見回し、あたしのところで目を止めた。
「ん? 相沢じゃないか」
 まさか……。いけない、何とかごまかさないと大騒ぎになっちゃう。でもどうやって……。
「ええっと、先生、これは……」
「久し振りじゃないか。でもな、お前の席はもう片付けてしまったぞ」
 がん! あたしは勢い余って机におでこをぶつけてしまった。
 ……何、そのナチュラルな反応。
 それにしても、あたしが第一号って言っていたけど、意外といるじゃない、見える人。
 ちなみにクラスの他の人たちは先生が何を言っているのか理解できないようで、「今、相沢って言ったよな」なんてざわめいている。
『あ、いいっすよ、俺はその辺で浮かんでますから』
「そうか、悪いな。あ、それから倉田と川澄は三年だろ。早く自分の教室に行け」
『あ、すみません。舞、行こう』
『……わかった』
 倉田先輩と川澄先輩がふわふわと教室の窓を抜けて廊下に出て行った。
「あとは……見かけない顔だな。まあいい。ほら、静かに。出席取るぞ」
 栞は一応この学校の生徒だったんだけど、さすがに出席日数一日の上に他学年では、先生も知っているわけないか。
 ……じゃなくて。石橋先生、前からマイペースだとは思っていたけど、これほどだとは。
「せ、先生も見えてるんだ……」
 机に突っ伏して落ち込んでいる名雪はそっとしておいてあげよう。


「はあ、やっと授業が終わったわ……」
 その後、石橋先生の他に教室を浮遊している相沢君たちに気づく先生はいなかった。クラスでも見えているのはあたしと北川君だけらしく、授業中に教室の真ん中で相沢君がアクロバット飛行しても、突然黒板から栞が飛び出してきても驚く人はいなかった。せいぜい北川君が喜んで口笛を鳴らし、先生から注意される程度だった。
 とは言っても、悪ノリして大暴れしている相沢君や栞のおかげであたしは全然授業に集中できなかった。あゆちゃんは申し訳なさそうに佇んで謝っていたけれど、暴れているのはあたしの身内なわけだから、むしろこっちが肩身が狭くなるくらいだった。
『香里、どうしたんだ? 何か疲れてるみたいだけど』
 相沢君がふよふよと飛んでくる。
『お姉ちゃん、放課後ですよ。そんな所で寝てないで早く遊びに行きましょう』
 相沢君も栞も、あたしの疲労と頭痛の原因になっている自覚はまったくないようだ。
「そうだぜ。オレは結構楽しかったけどな」
 ブチッ。
 キレた。もう気持ちいいくらいにキレた。
「あんたたちのせいでしょうが! 少しは反省しなさい!!」
 間髪入れずに三連撃で相沢君、栞、北川君を殴り飛ばした。
『いいパンチだぜ、香里』
『痛くはないけど、お姉ちゃんの愛情を感じます』
「何でオレまで!?」
 おお、その気になれば幽霊でも殴れるものなんだ。もっとも、顔だけはいい具合に腫れ上がっているものの効いてはいないみたい。あと、 北川君は面白がっていたから同罪ね。
『祐一さん、お待たせしました……って、どうしたんですか、その顔?』
 倉田先輩と川澄先輩が中庭側の窓を抜けて入ってきた。
『ああ、ちょっと香里に修正されてな』
『はえー、すごいですね、香里さん』
 倉田先輩が感心しきった眼差しを向けてくる。川澄先輩は相沢君の腫れた頬をさすっている。
「冗談じゃないですよ。早くそこの二人連れて行ってください」
『……香里はそれでいいの?』
 川澄先輩がこちらをじっと見て言った。そのまっすぐな瞳があたしを不安にさせる。
 いいって、何が?
『仕方ないよ。ボクたちはもう死んじゃってるんだもん。ずっと一緒ってわけにはいかないよ』
『そうだよな。というわけで、お別れだな、香里、北川。それと、俺たちが見えてないみたいだけど名雪にもよろしく言っといてくれ』
『お姉ちゃんにまた会えて嬉しかったです』
 ちょっと、何よ、どういうことよ?
『佐祐理はまだ生きてるけど、みんなにお付き合いしますね』
『……佐祐理は親友だから』
「待ってよ! どういうことよ!? 帰っちゃうの? またいなくなっちゃうの?」
 呼び止めてはいけないのかもしれない。一日中さんざん迷惑がっておいて、いざお別れとなると名残惜しくなるなんて……。
 と、それまで仏頂面を崩さなかった川澄先輩が優しい顔になってあたしの前に降りてきた。
『……香里も今は親友だから。佐祐理も、祐一も、栞も、あゆも、それに名雪と……えっと、北川? あなたも』
「何でオレだけうろ覚えなんすか?」
 北川君が抗議の声を上げるけれど、今はそういう場面ではない。
『もう一度言っておくね。お姉ちゃん、会えてよかったよ』
「あたしも! あたしも栞にこうしてまた会えてよかった……。今日のことは一生忘れないから」
 絞り出すようにそう言った。涙で視界が霞む。ダメよ、ちゃんと栞を見送らなきゃ。
 栞は満足げに微笑み、窓の外へと消えていった。相沢君や川澄先輩、それに倉田先輩も同じように消えていく。
「そっか。祐一、行っちゃったんだね」
 あたしと北川君が見つめる窓の外を、名雪も少し寂しそうに見ていた。


 翌朝、いつものように通学路を歩いていた。この北国でも春が近づき、寒さもずいぶんと和らいできた。
「は……っと、いけない、いけない。溜息なんてついたらまた天国の栞に心配かけちゃうわね」
 昨日の、栞との二度目の別れの後の寂しさのようなものが残っていたのかもしれない。
『おはよう、香里。どうした、また何かあったのか? そんなとぼとぼ歩いてたら遅刻するぞ』
「あら、おはよう、相沢君。今日は早いのね」
 後ろから追い抜いていったクラスメイトに挨拶を返す。
 ……って、ちょっと待って。
『お姉ちゃん、おはよう。今日もいい天気だね』
「しし、栞! それに相沢君も! ど、どうして?」
『おいおい、昨日会ったばかりじゃないか。何を驚いてんだ?』
 相沢君が両手を肩の高さにかざし、やれやれと首を振った。
「そうじゃなくて! あなたたちは天国に行ったんじゃなかったの?」
『天国? いやあ、まだまだ遊び足りないしな』
『そうですよ。私たちの幽霊ライフは始まったばかりです』
 あっけらかんと言ってのける相沢君と栞。この二人がいるってことは……。
『はーい、佐祐理もいますよ』
『……私も』
『うぐぅ、みんな速いよ。待ってよぉ』
 ……やっぱり勢揃いなわけね。
「で、何? またあたしについてくるつもり?」
『当然だろ。香里からかってると面白いしな』
『お姉ちゃんと一緒に学校に行きたいです』
 ああ、またあの悪夢が繰り返されるのか。
「おはよう、香里。何だかぶつぶつ言ってるけど、また祐一たちが来たの?」
 名雪が後ろから追いつき、のほほんとした声で尋ねてきた。
 そうよ、その通りよ。
 栞たちにはいろいろ言いたいことがあるけど、取りあえず。
「あたしの涙を返せ!」
 幽霊ご一行様がけらけら笑いながら逃げていく後を追いかけて走り出すあたしの顔も自然と綻んでいた。


     あとがき


 新年早々なんてものを出しているんだと自問しつつ。
 あけましておめでとうございます。林原悠です。
 林原初となる「Kanon」の小説、いかがだったでしょうか。昨年末にブログで予告していた新ジャンルの二次創作がこれです。
 舞シナリオのバッドエンド後のお話です。したがって、祐一は死んでいますし、舞もその後に死んだということにしています。また、栞もあゆもそのままだと死んでしまうはずです。最初はそういう設定のダーク作品を企画していたはずなのに、どうしてこうなってしまうのか。しかも、何故か主演は香里で、舞も佐祐理さんも存在感が薄いという有様。
 こんな迷走気味の話ですが、楽しんでいただければ幸いです。(2008/01/06)

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