第弐章  検非違使(後編)


 北の市にほど近いかつての武家屋敷の縁側に佇んで三条尊人は夜空を見上げていた。
 実に見事な満月だった。尊人が昨日までいた現代日本の夜と違って街灯もビルの明かりもないこの都では月明かりが眩しくさえ感じる。
 通学途中のアクシデントがきっかけと思われる超能力の暴走によりこの世界に飛ばされて一日が過ぎていた。
 この邸に宿を借り、一晩眠って目が覚めてみれば元の世界に戻っているのではなどと希望的観測を持ってみたが、結果はこの通り、依然として尊人はどこともわからぬ世界の只中にあった。
 もしかしたら世に言う神隠しというのはこういうことなのかもしれない。家族や友人たちはさぞ心配しているだろうが、どうすれば戻れるのかもわからなかった。
 同じような境遇に置かれた人々が他にもいるとして、その中でも尊人が運のいいほうなのは確かだった。早々に知り合った少女の好意で宿も食事も得ることができたのだから。
 このような立派な邸を別宅として都に所有しているのだから、スセリは比較的裕福な里の住民なのだろう。
 スセリに随伴して市で買い出した新鮮な魚や野菜を用いた料理は、尊人の食べ慣れている現代日本の食べ物に比べれば質素ではあったが、こうした都の庶民の食事として連想するものとはかけ離れていた。
 調理したスセリの腕がいいというのもあるのだろう。
 そのスセリは、もう眠ったのだろうか。
 昨晩はいきなりよくわからない世界に跳んでしまったことで精神的な疲れが出たのか、宛がわれた部屋ですぐに眠ってしまった。
 だが、一日経って少し落ち着いてみると、他に誰もいない邸で女の子と二人っきりというこの状況は何だ?
 行く当てのない尊人に同情してくれたのかもしれない。原因の一部が尊人にあるとはいえ、スセリをならず者から助けたことで好意を持ってくれたのかもしれない。
 それにしても、他に誰もいない邸にこうも易々と会って間もない男を泊まらせていいのか? この国じゃそういうのは普通なのか?
 いや、別に二人きりだったからといって何があったわけでもないし、広い邸だから寝泊まりしている部屋はそれなりに離れてもいる。
 それでも「女の子と一つ屋根の下」という状況は健全な男子高校生である尊人にとってはちょっとばかり刺激的すぎるシチュエーションなのである。
 何しろ部屋と言っても鍵のかかったドアがついているわけではない。その気になればスセリの寝ている部屋に忍び込むことなど、夕食に出た川魚の小骨を取るよりも容易いことだった。
 だいたい、スセリにしたって自分独りしかいない邸にこうも無防備に男を招き入れている以上、多少はその気があるのではないか。
「……って、俺は何を考えているんだ」
 恩を仇で返すような自分の発想が恥ずかしくなって頭を掻いた。
「バカなこと考えてないで寝るか……」
 そう思って立ち上がった時、外が妙に騒がしいのに気がついた。大勢の人間が走り回り、声を掛け合っているような物音。捕り物でもしているのだろうか。
 あまり関わり合いにならないほうがいいと思いつつ、若さゆえの無謀な好奇心が頭をもたげてくる。
「まあ、ヤバそうな時は跳んで逃げれば大丈夫か」
 この邸には侵入者を阻む結界が張り巡らされているが、スセリの客人として招かれた尊人はそれを通過できる。テレポーテーションが有効なのも確認済みだ。
 加えて、元の世界にいた時より尊人の超能力が強くなっていることもあって、尊人の気は若干大きくなっていた。
 尊人は眠っているであろうスセリを起こさないようにそっと門から外に踏み出し、物音の聞こえるほうへ足を向けた。

 狩衣や直垂を着た男たちが太刀や薙刀を振るっている。斬り捨てているのは野犬だろうか、満月に照らされてもなお黒々とした影のような生き物だった。中には大きな蛇と思しき細長いものもいた。
 それはどこか空想じみた映画のワンシーンのようだった。
 時代劇の殺陣(たて)ほど鮮やかな動きではなかったが、その分、生々しい殺戮の現場。
 男たちと獣が演じる無骨な舞いの輪の外に立って、尊人はおかしな夢でも見ているのかと思った。
 これは戦なのか、狩りなのか。人通りが絶えたとは言え、都の中でいったい何が起こっているというのか。
 しばらく惚けたように目の前の光景を眺めていた尊人は、その異様さにふと気がついた。
 野犬や蛇が次々と男たちに斬られているというのに、血の一滴も迸っていないのだ。手にした武器にも返り血などない。それどころか、死体の一つも残っていなかった。まるで初めからそこには何もいなかったかのように雲散霧消していく。
 生きた野犬や蛇ではない。この男たちが斬っているのは、いったい何だ?
 と、蛇の姿をした何かが一匹、尊人に気がついて赤く輝く禍々しい目を向けた。一群の輪を抜け出した蛇はしゅるしゅると素早い動きで尊人に襲いかかる。
 跳んで逃げるか、そう思った刹那、黒蛇は駆けつけた男に斬り伏せられてその姿を消していた。
「貴様、昼間の市にいた男だな。ここで何をしている?」
 蛇を斬り捨てた狩衣姿の男は太刀をまっすぐ尊人に突きつけ、訝しげな目で問いかけた。
 若い。尊人より数歳年上といったところか。
 男は尊人を見知っている様子だった。尊人自身に会った覚えはないから、どこかで見られていたのだろう。それにしてもそうそう目立っていたわけでもなかろうに。
「烏帽子も被らずに街を歩き、こうして夜の都を徘徊している。お前が噂の天狗か?」
 天狗だって?
 脳裏に浮かんだのは昨日の検非違使だった。鬼か天狗かと喚きながら逃げていったあの男。その仲間だろうか。
「答えろ。お前は何者だ?」
 突きつけられた太刀の研ぎ澄まされた刃が月光を受けてまばゆく輝く。赤みがかった狩衣に立烏帽子という服装もそうだが、昨日の男たちとはまったく異なる洗練された物腰だった。
 若い男は尊人を天狗かと疑っている。下手に力を使えば疑惑を強めることになりそうだ。
「試してみるか」
 尊人が何も答えずにいると男は小さく呟き、いったん引いた太刀を踏み込みと同時に薙いだ。尊人は咄嗟の判断で後ろに下がって避ける。刃は一瞬前まで尊人がいたぎりぎり手前を一閃した。威嚇のつもりか、それとも挑発か。
「読んだ、わけではないか」
 男が振るった太刀を返した。その表情からは威嚇、挑発、嗜虐、いずれの色も見て取れない。冷徹なまでに真剣な眼差し。必要と判断すれば尊人を殺すことすら厭わないだろう。
 跳ぶか。
 そんな考えがちらついたが、ここで姿を消せば目の前にあるこの邸に疑いがかからないとも限らない。スセリに迷惑をかけるような真似は避けたかった。
「次は掠める」
 冷静な声の直後に刃が一閃した。尊人は多少のサイコキネシスを上乗せした跳躍で後ろに飛び退いた。
「やはり只者ではないな」
 見込み通り、とばかりに呟きながらも笑み一つ漏らさずに尊人を見据える。
 こうなってはなるべく派手に動いてこの場を離れるしかないか。うまく巻ければいいが、最悪、この邸には戻ってこられないかもしれない。安易な考えで外に出たことを後悔していた。
 男と対峙したまま、じりじりと後ずさる。背中を向ければ斬られる。
 しかし男も逃がすまいと間を詰める。
 太刀が煌めき、尊人が大きく跳ねてかわす。
 続けざまに二太刀、三太刀。常人離れした尊人の跳躍に食らいついてくる。
 テレポーテーションで距離を取るか、そう考えた瞬間、足下の小石を踏んで体勢が崩れた。
「しまっ……」
 男はそれを見て取るや、太刀の峰を返して尊人に迫った。峰打ちなら死ぬことはあるまいが、骨の数本は折れるかもしれない。
 男が鮮やかな動きで振るった太刀は、しかし、虚空に旋回する。
「な!?」
 尊人は五メートルほど離れた位置に尻餅をついていた。
「……ふぅ、間に合った」
 安堵の息を漏らす間もなく、次の一太刀が尊人に襲いかかる。
「ああ、もう! しつっこいな!」
 尊人は声を荒げながらも再び跳ぼうと念を込めようとした。

 しかし、男の太刀が尊人の位置に届くことはなかった。
 男の首筋に五尺(約一五〇センチ)ほどもあろうかという大太刀の峰が宛がわれ、行く手を阻んでいた。
「頼経、貴様……」
「若君、そこまでになさいませ」
 大太刀の主が柔らかくも厳しい声で言った。
「任務中だ。若君はやめろ」
「では佐殿、太刀をお納めください。無闇に民を殺めるものではありませぬ」
 その語気の強さに不承不承ながらも男は太刀を納めた。それと同時に大柄の武士も大太刀を引いて鞘に収める。
「お前は見なかったのか。この男は只者ではない。天狗であるかもしれんのだぞ」
 狩衣の男が男を責めるように言うが、直垂姿の武士は静かに首を横に振った。
「そうであったとしても、物事には順序というものがございます」
 そして地面に座り込んだままの尊人に手を差し伸べた。
「上役が失礼をいたしました。代わってお詫びを申し上げます」
 武士の手を借りて立ち上がりながらも、礼を言ったものかもわからずにいた。
「それに、この方は天狗などではありませんよ」
 武士は主を顧みながらそう言った。
「何故わかる?」
「陰陽師殿がそのように。この方からは妖気を感じぬと」
「隠しているかもしれぬぞ」
 尚も狩衣の男が食らいつく。
「そうかもしれませんが、疑う理由もありません」
「先の動きを見たであろう?」
「何らかの法術の類かもしれませんが、それは人であっても用いえます」
「……」
 狩衣の男も黙り込んだ。
「あの……」
 その様子を見計らって尊人はようやく口を開いた。
 問いかける前に直垂の武士は柔らかく微笑んで言った。
「ああ、失礼。申し遅れましたね。私は検非違使の少尉を務めております。そしてこちらは上司の佐殿です」
「検非違使!? 昨日のヤツらの仲間か?」
 思わず尊人が声を上げると、若君と呼ばれていた男が「ほう」と尊人を見据える。
「昨日、と言ったな。事の次第はともかく、お前が放免共が騒いでいた天狗の正体であることは間違いないようだな」
「う……。あ、あれはあいつらが悪……」
「ミコト、あんた何やってんの!?」
 尊人の返答は背後からの声に遮られた。検非違使二人の視線も声の方向に向けられる。
「スセリ!? お前こそ何でここに!」
 ここでスセリが現れるのは想定外だった。いや、想定しておくべき事態ではあったのかもしれない。
「何でって……その……そう、ミコトの様子を見に行ったらいないし、外が騒がしいし、もしかしたらと思って」
 スセリの返答はどこか要領を得ないが、尊人が外に出たのが元凶なのは間違いないようだ。
「そんなことより、何であんたわざわざ外に出てこんな連中に絡まれてんのよ!?」
 突然現れた娘に「こんな連中」扱いを受けて少尉はやれやれと苦笑いを浮かべている。一方、佐のほうは訝しげにスセリの顔を検めていた。
「な、何よ!? き、貴族だからって威張ってんじゃないわよ? 検非違使なんか怖くないんだから……」
「姫君……か?」
 佐が問いとも独り言ともつかぬ言葉を漏らした途端、スセリはびくりと肩を振るわせて一同に背を向けた。
「み、ミコト、さっさと帰るわよ!」
「……おう」
 背を向けたままの言葉を受けて尊人はスセリに駆け寄った。
「お、お待ちを!」
 佐が呼び止めるが、スセリは身じろぎもせずに硬い声で言った。
「跳んで」
「だ、だけど……」
「いいから!」
 強い口調に押し切られた尊人は小さく溜息を漏らすとスセリの肩をそっと抱いて念を込め、邸の中に跳んだ。

「な!?」
 時輔と頼経は二人揃って絶句した。目の前で二人の人間が姿を消したのだ。
 先ほどの戦闘中にも男が一瞬消えたように見えたが、気のせいではなかったようだ。
 先に我に返った頼経はそびえる築地塀に沿って駆け、邸の門を探り当てた。
「これは……なるほど、確かに只者ではないようですね」
 今の二人がこの邸の関係者だとすれば、時輔が天狗かと疑ったのもあながち的外れではないかもしれない。
「寺社領、か」
 後からやって来た時輔が呟く。
「ええ、これでは我々には手が出せません」
 いかがいたしますか? 顧みながら無言で問いかける頼経の視線をよそに時輔は邸の内と己を隔てる門をじっと見つめていた。

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