第弐章  検非違使(前編)


 都の西部地区、貴族の邸宅が建ち並ぶ界隈を一頭の馬が駆ける。
 むろん都の中を馬が単独で走っているわけもなく、馬上には乗り手の姿もあった。衣冠姿の若い貴族である。
 上半身を包む緋色の袍(ほう)は位階が五位であることを示しており、その年齢を考えれば彼が貴族の中でも上流に属する人物であることを窺わせた。
 その一方で、腰に吊した太刀は貴族がおもに佩く儀礼用の飾太刀(かざたち)などではなく実戦向きのものだった。
 彼ほどの上流貴族が供も連れずに騎馬で都の往来を駆けるなどは通例ではない。本来なら牛車(ぎっしゃ)を用いるものである。しかし、彼にしてみれば、牛車にのたのたと揺られるなど時間の無駄でしかなかった。
 騎乗の貴族はやがて、この界隈でもとりわけ広大な邸宅の門前にて下馬した。彼の到着を認めた門番が恭しく礼を取る。貴族は馬を引いて門をくぐった。  貴族の名は楠本時輔(くすもとときすけ)といった。

 この都に住まう貴族の大半は四つの氏族のいずれかに属している。
 かつて、国土の統一に功があり、また都の造営に尽力した四豪族に対し、時の帝は都の四方を守る四神にちなんだ氏をそれぞれ与えた。すなわち、鳳(おおとり)、龍永(たつなが)、武速(たけはや)、虎賀(こが)の四氏である。
 以後、その子孫は朝廷において重用され、国政の要職を四氏の出身者が独占する状況さえ生まれた。
 こうなると、四氏の外に出自を持つ貴族たちはその特権の恩恵に与ろうと先を争って四氏に属する者と姻戚関係を結んだ。
 結果、現在に至っては都の貴族の約八割が四氏の末裔、あるいはその姻族となっている。
 四氏の分家だけでも相当数に上り、各家は互いの区別のために自らの氏に縁のある字を戴いた家名を名乗るようになった。これを苗字と言う。
 時輔の場合は楠本が苗字に当たり、本来の氏をもって名乗るならば鳳時輔(おおとりのときすけ)となる。
 この苗字にも各々の家格に則った決まりがあり、四神が守護する方位を苗字に入れることは、氏の宗家、あるいはそれに準じる家だけに許された。
 楠本家は鳳氏の宗家・南条(なんじょう)家に次ぐ二番格の名家であり、時輔はその当主・右大臣長時(ながとき)の息子である。
 二十歳にして既に五位蔵人(ごいのくろうど)であり、同時に右衛門権佐(うえもんのごんのすけ)にも任ぜられている。そして、衛門府の役人から選ばれて兼任する検非違使にも名を連ねる時輔は宮中でも将来有望と目されている貴族の一人だった。

 時輔が訪れた邸宅は検非違使(けびいし)の別当(べっとう:長官)を務める西崎高遠(にしざきたかとお)の邸であった。
 検非違使佐(すけ:次官)である時輔は、宮中での蔵人の職務を終えて検非違使庁となっている西崎邸にやって来たのだ。
 都の治安維持をおもな職能とする検非違使はその任において穢れを得ることがある。そのため、これを宮中に持ち込むことがないよう、別当の自宅を使庁として用いる慣例となっていた。
 侍所に詰めていた衛士に馬を預け、使庁の事務が執り行われている西の対(たい)へ向かう。
 西の対に入ると直属の大尉(たいじょう)が時輔を出迎えた。秋坂光俊(あきさかみつとし)。別当・西崎高遠と同じ虎賀氏に属する若い明法家(みょうぼうか)である。
 この邸の主は比較的おおらかな性格であり、いわゆる私服に当たる直衣(のうし)や直垂(ひたたれ)で登庁することも許容しているのだが、光俊も時輔同様の衣冠姿であるから、午前中は出仕していたのだろう。
「佐殿(すけどの)、早速ですがご確認いただきたい書簡が溜まっております」
 挨拶もそこそこに切り出す光俊に促されて室内に用意された文机を見遣ると、確かに大量の書簡が山積みとなっていた。参議を兼任する別当は宮中での職務に多忙であり、めったに使庁に姿を現さない。自然、書類仕事は佐である時輔が処理することになる。
 だが、この手の職務はお手の物だ。この程度の分量なら半刻もあれば終わるだろう。顔色一つ変えることなく時輔は文机に向かった。
 光俊の説明を聞きながら書簡を片付けていく。実際のところ、事務処理の大半は有能な文官である光俊の手によって終わっていて、あとは時輔の判断待ちという状態になっているものがほとんどだった。
「これは別当殿の決済を仰ぐように。こっちの書簡は――」
「ただいま戻りました」
 時輔が書簡についての指示を光俊に出していると、赤朽葉の直垂(ひたたれ)を羽織った武士が部屋に入ってきた。身の丈六尺(約一八〇センチ)ほどの大柄にもかかわらず、引き締まった筋肉はほっそりとしていて優雅にさえ見える。
「少尉(しょうじょう)殿、お疲れさまです」
 光俊が労いの言葉と共に出迎える。
「京の見回りか、頼経(よりつね)?」
 時輔も書簡から顔を上げて尋ねた。
「おや、若君もおいででしたか」
 頼経と呼ばれた武士の反応に、時輔がかすかに眉をひそめる。
「若君はやめろ」
「おっと、失礼いたしました、佐殿」
 頼経は上司である時輔の苦言にも動じず、ニヤニヤ笑いながら皮肉な口調で言う。もっとも、こうした態度も今さら目くじらを立てるようなことでもなかった。
 赤司(あかし)頼経、武士である。
 赤司家は楠本家の分家筋に当たる。楠本家から分かれた後は武家として身辺警護を初めとして軍事面で楠本家を支えてきた。配下に赤司党と称される強大な武士団を抱えており、その勇猛さは都中の評判となっている。
 赤司党の棟梁・赤司時経(ときつね)の弟である頼経も当然のように赤司党の一員であり、その柔らかな物腰に反して武芸に秀でた若武者だった。
 歳の近い時輔の側近兼護衛を任されており、時輔に併せて衛門府、次いで検非違使にも任官していた。時輔を若君と呼ぶのはそれ故の習慣なのだが、時輔が嫌がるのを承知で敢えてからかっている側面もあった。
「それで、少尉のお前が自ら出向くほどの案件が何かあったのか?」
「大したことではありません。放免共が天狗にやられたと騒いでいたもので、念のため現場を検めたまでです」
 頼経は事も無げにそう言った。
「その口ぶりでは無駄足だったようだな」
 時輔が眉をひそめる。
「あらかた、放免が町人(まちびと)に要らぬ手出しをして返り討ちに遭ったのだろう。苦し紛れに天狗などと……」
 そう指摘すると頼経も頷いた。
「ええ、さもなくば狂言でしょうね。ただ、場所が北の市(いち)の外れでしたもので、念のためと」
「北の市……」
 時輔はそう呟いて口元に手を当てた。考え事をする時の癖である。
「今宵の"清め"がその辺りだったか」
「はい」
「だが、何もなかったのだろう?」
 時輔が顔を上げて問いかけた。
「同行した陰陽師によれば、妖力が使われた形跡はないとのことです。ただ……」
「ただ?」
「放免の一人は手も触れずに塀に叩きつけられたと申しておりましたが、確かにそれらしき跡が残っておりました。人の力にしては少々強すぎるのではと……」
「それで、天狗の仕業だと?」
「そうは申しませんが……」
 頼経が言い淀むが、時輔は険しい表情を緩めて言った。
「放免共の手の込んだ工作だろう。言い訳を真実(まこと)と見せるためのな。あまり度が過ぎるようであれば獄舎に戻してしまうがいい。そのような無法者の狼藉で検非違使の品位を疑われては堪らぬ」
 放免とは元は検非違使に捕らえられた罪人であり、検非違使の捜査に協力することを条件に獄舎から出されている。が、中には再び悪事を犯して獄舎に戻される者も少なくなかった。
「承知いたしました」
 頼経の返答を聞き、用は済んだとばかりに時輔は文机に向き直った。
「ところで、先ほどのお言葉ですが、やはり今宵の"清め"にも同行なさるおつもりで?」
 頼経の問いに時輔は書簡に目を向けたまま、答えた。
「そのつもりだが、迷惑か?」
「とんでもない。佐殿の腕は確かですからね。お力をお借りできるのは光栄の極みでございます」
「それは遠回しの自賛か?」
 軽く口の端を吊り上げて時輔が言った。時輔に剣術を指南したのは他でもない頼経なのだ。そして、時輔は頼経から一本たりとも取ったことがない。
 時輔の皮肉に一瞬だけ不意を突かれた表情を見せた頼経だったが、すぐに柔らかく微笑んでみせた。
「まことに若君は、公家にしておくのがもったいないほどです」
「では、官職を失うことがあれば赤司党に加えてもらうとするか。これで終わりだ」
 最後の一言は脇に控えていた光俊に向けたものだった。同時に書簡を手渡すと、光俊はさっと目を通す。
「はい、確かに。お疲れ様でございました」
 光俊の言葉を待って時輔は立ち上がる。
「お戻りですか?」
 頼経もすかさず立ち上がって後につく。
「伴なら要らぬ」
「大臣(おとど)と兄上の命がございますゆえ」
 よく言う、と時輔は心の中だけで呟いた。検非違使の任にある時はもちろん、非番の時でさえ気が向いた時にしか時輔の側に控えない頼経である。命令など方便でしかなかった。
 もっとも、それは時輔自身が護衛に付きまとわれるのを好まないせいでもあった。それを正当化するのも頼経に剣術指南を請うた動機の一つだった。実際、都にあぶれるならず者の二、三人なら苦もなく返り討ちにできる。
「わかった。好きにするがいい」
 それでも時輔は頼経の同行を頑なに拒みはしなかった。こういう時の頼経には何を言っても無駄なのだ。

 頼経を従えて別当邸を辞した時輔は馬を北に向けた。
「おや、いずこかの姫君の元にお通いで? ではやはりお邪魔でしたか?」
 半ばからかうような口調だった。時輔の住まう右大臣邸は都の南に位置する。方向は逆だった。
「……」
 時輔が言葉を返さずに馬を進めると、頼経は思案げに問いかけた。
「先ほどの北の市の件、何かお気になる点でも?」
 相変わらず勘の鋭い男だ。
「気がかりというほどのものではない。"清め"の前に場を見ておきたくなっただけだ」
 実際、確たる疑念があったわけではない。ただ、何かが直感に働きかけた。
 それをそのまま伝えたところで頼経が馬鹿にすることはないだろうが、時輔自身の矜持がそれを妨げた。
「お役目熱心なのはよいことです。部下として頭が下がる思いですよ」
 いつもながらどこまで本気かわからない頼経の言葉だった。

 日が傾いた時間となっても北の市は賑わっていた。
 早々に商いを終えて店じまいを始める商人もいるが、多くは今が売り時とばかりに声を張り上げている。
 この数刻後にこの近くで起こることなどおくびにも出さぬ平穏な日常だった。
 市の賑わいを馬上から眺める時輔と頼経の側を通る都人たちは恭しく頭を下げながら、何故このような場所に位の高そうな貴族がと訝しげでもあった。
「スセリ、ちょっと待ってくれよ! そんなに急がなくたって大丈夫だろ?」
 喧噪の中を抜けてきた声の出所を時輔は何気なく追った。
 視線の先には小袖姿の女性を追いかける若い男。身に着けている浅黄色の水干は、時輔たち貴族の着物とは比べるべくもないが、庶民のものとしては質のいい布地だった。
 しかし、時輔の目に止まったのはそこではなく。
「おやおや、烏帽子も被らずに市を歩くとは……」
 時輔の視線を追った頼経が驚きのこもった声で呟いた。
 この都に住む男は、貴族と平民とを問わず烏帽子を被って外に出る習わしだった。いや、邸にいても被っているのが普通なのである。烏帽子も被らずに人前に出るのは恥であり、公衆の面前で烏帽子を奪われるのは最大の屈辱ですらあった。
 烏帽子を被らずに通りを歩くなど、元服前の童か、僧、あるいは烏帽子すら持てない河原者であるか。
 件の男は時輔よりは幾分年下ではある者の、童といった歳には見えない。むろん、僧にも河原者にも見えなかった。
「異国の者でしょうか?」
「さて、どうかな」
 時輔の知る範囲の異国はいずれも冠などの被り物を身につけると聞き及んでいる。しかし、時輔の知らない国があってそこでは被り物の風習がないのかもしれない。
 時輔と頼経に注視されているとも知らず、例の男は同伴らしい桜色の小袖の女性に追いついて魚売りの店先を覗き込んでいた。
 結局、その他には目立った異常も見当たらず、日が落ちる頃に時輔は頼経を伴って邸に戻った。

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