第壱章  宝泉京(後編)


 スセリに案内されるまま通りを歩いていくうちに、道の両側に築地のそびえ立つ道から、板葺き屋根の民家らしきものが道路に直接面して建ち並ぶ光景に変わった。
 簡素な和服に市女笠をかぶった女性や、水干や直垂(ひたたれ)姿に烏帽子をかぶった男性が、それぞれに葛籠(つづら)などを担いで行き交っている。この辺りは都の中でも賑やかな界隈のようだ。さっきまでいた場所の人気のなさが嘘のようだ。
 この人通りで、一人だけ洋服を着ている尊人は浮いた存在のようで、物珍しそうにじろじろ見ながらすれ違っていく人も少なくない。
「なあ、あんな人のいない場所まで逃げなくてもこの人混みに紛れちまえば逃げ切れたんじゃないのか?」
 居心地の悪さから目を背けるようにそう尋ねてみると、
「そんなことしたらこの人たちに迷惑かかるかもしれないでしょ。だから人のいないところに逃げたのよ。逃げ足と体力には自信あるんだから。ミコトが落ちてこなければちゃんと逃げ切れてたわ」
 スセリがふふんと自慢げに胸を反らしてみせる。
 だろうな。あの足の速さとスタミナは大したものだ。
 考えなしに口と手を出して追いかけられる羽目になったのかと思ったが、多少は考えての行動だったらしい。
「着いたわよ」
 そう言ってスセリが立ち止まったのは、小ぶりながらも築地塀に囲まれた邸の前だった。周囲の民家に比べればずいぶんと立派な家である。いわゆる貴族の邸宅といった趣ではなく、もう少し質実な、そう、武家屋敷のような佇まいだった。
 もしかしてこの少女は貴族ではなくて武家のお姫様なのか? ホイホイついて行ったらおっかないご当主にあらぬ誤解を受けて刀で追い回される羽目になったりしないだろうな。
 そんなことを考えてしまう尊人だったが、開け放たれた門の奥に見える邸はひっそりと静まりかえっていて人の気配がない。
「本当にここがお前の家なのか?」
「そうよ。もっとも、ここは別宅みたいなものだけどね」
「別宅?」
「普段は都の北の外れの里に住んでるの。里の人が都に用がある時に使ってるのがこの家ってわけ。今日はあたししかいないから、安心して上がってくれていいわよ」
 スセリはそう言って開きっぱなしの門から邸の中に入っていく。
 え、つまりスセリと二人っきりってことか? いいのか、それ?
 そう思いながら尊人がその後に続いて門をくぐった時、何かに見られているような感覚に肌がぞくりと泡立つ。思わず辺りを見回すが、自分とスセリ以外には誰もいない。
 感じた視線は間違いなく邸の内側からのものだった。視線を感じたのはほんの一瞬だけだったが、本当に誰もいないのか?
「どうしたの?」
 スセリが怪訝そうにこちらを振り返って尋ねる。
「誰かに見られてた気がしてさ……」
「ああ、この邸には用心のために結界が張ってあるからね。ミコトはあたしがお招きしたお客様だから大丈夫だと思うわよ。たいていの人は気づかないものなんだけど、さすがね」
「へ、へえ……」
 結界とは、またずいぶんな言葉が出てきたものだ。ここはそういうのが当たり前な世界なのか?

 門の内側に入ると左手に小ぶりながら別宅と言う割には手入れの行き届いた庭が見えた。
 その庭に面した縁側からスセリが邸に上がり込む。尊人も後に続いた。建物の内部には家具らしきものもあまりなく、生活感の乏しさはさすが別宅といったところか。それとも、この都ではこういうのが普通なのだろうか。
「まずは服かしらね」
 不意にスセリが言った。
「その格好じゃ目立って仕方ないでしょ」
 言われて、ついさっき通りで感じた居心地の悪さを思い出した。ずっとこの邸に籠もっているならともかく、外を出歩くなら目立たないほうがいいのは確かだろう。ただでさえ、ここがどういう場所なのかわかっていないのだ。無用のトラブルは避けたい。
「そうだな。貸してもらえると助かる」
「じゃあ、ついてきて」
 スセリが妙に嬉しそうに言って板張りの廊下を奥に歩いていく。後について歩きながらきょろきょろと見回すと、邸はいわゆる寝殿造をぐっと縮めたような構造になっているようだ。
「元は武士のお邸だったみたいよ。うちの里長の知り合いだったみたいで、地方に下ることになったから譲ってもらったんだって」
 物珍しげに見回している尊人の様子が面白かったのか、クスリと笑って説明してくれた。道理で立派なわけだ。
「で、ここが元武器庫。今は日用品の倉庫になってるわ」
 邸の外れの渡り廊下の先にくっついた蔵を指し示しながら言った。武器を保管する場所だっただけあって頑丈そうな扉で閉じられているものの、錠前が外れたまま片側の扉にぶら下がっていた。施錠はしていないようだ。
「ちょっと重いからね。開けるの手伝って」
 言われるままにスセリと一緒に扉を押し開けると、意外にひんやりした空気が流れ出してきた。
 中は薄暗かったが、格子窓から漏れる光で大小様々の葛籠が積み重ねてあるのが見て取れる。スセリがそのうちの一つに歩み寄って開ける。しばらくがさごそと中身を漁り、色とりどりの布を取り出しては尊人と見比べていたが、やがて満足げに頷いて浅黄色の水干一式を差し出してきた。
 反射的に受け取ってまじまじと眺める。これを着ろということなのだろう。イメージしていたよりも軽く涼しげな布地だった。
「なあ、これどうやって……」
 着るのかと尋ねようと顔を上げると、いつの間にかスセリは姿を消していた。尊人が着替えるために場を外してくれたのだろう。
「……たぶんこの白い浴衣みたいなのを中に着るんだよな」
 尊人は学生服の上着と、続いてシャツを脱ぐと、いそいそと白い浴衣みたいなの、つまり小袖を羽織った。次に縹色の袴を身につける。ここまでは何となくわかった。問題は水干だった。スセリの格好を思い出しながら見様見真似で上半身に巻きつける。
「えっと……これはどうやって結ぶんだ?」
 襟元の留め方がよくわからなかった。おそらくは赤い紐を結んで固定するのだろうけれど。
「手伝ってあげよっか」
 後ろから声が聞こえ、中途半端に着付けた状態で振り返る。
 スセリは男装の水干姿ではなく、桜色の小袖に着替えていた。決して豪華ではない、むしろ質素な装束だったけれど、スセリが着ると何とも言えない華やかな雰囲気になっていた。
 尊人が言葉を失っていると、
「もしかして見とれちゃった? えへへ、ちょっとしたもんでしょ。あまり着ないんだから」
 と言ってくるりと一回りして見せる。
「い、いいからこれ着付けるの手伝ってくれよ」
 尊人は思わず顔を背けてぶっきらぼうに言った。つい見とれてしまったのは、和服の女の子を見る機会があまりなかったからだ。そうに違いない。
「何よ、一言感想くらいくれたっていいじゃないの。……って、あははは、何なのそれ、ミコトは着付けが下手ね」
 スセリは不満げに声を漏らしたものの、尊人の水干の着こなしを見るや声を上げて笑う。
「……っ、仕方ないだろ。こういう服着るのは初めてなんだから」
「そっか。ミコトの国じゃさっきみたいな服が普通なのよね。あ、ちょっと腕を上げてくれる? そうそう。ちょっとじっとしてて」
 スセリはそう指示を出しながら尊人の体に水干を着せていく。
「で、ここを結んで出来上がりっと。うんうん、よく似合ってるわよ」
「本当か?」
 自分の姿がどんなものなのか確かめたかったが、この部屋には鏡らしきものは見当たらない。スセリの言葉を信じておくしかなかった。
「よしっ、じゃあ着替えも終わったところで出かけましょ」
 スセリが弾んだ声で促す。
「早速かよ」
 本音を言えば一休みしたいところだった。何しろ、突然よくわからない世界に飛ばされたのだ。環境の変化に思考の整理が追いつかない。
「だって、早くしないと日が暮れて市場が閉まっちゃうもの。実を言うとドタバタしてたおかげで夕飯の買い物がまだなのよね。もう何日かここにいる予定だから買い置きもしておきたいし、ミコトの分も必要でしょ」
 やれやれ、そう言われると居候としては断るに断れないか。
「わかったよ。でもさっきみたいに走るのはなしな。のんびり行こうぜ」
 尊人はそう答え、とんとんと小気味よい音を立てて渡り廊下を歩いていくスセリの後を追った。

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