序章


 子供の頃、こんな夢を見た。
 どことも知れない打ち捨てられたお堂の奥、月明かりも差さない暗闇の中で女の子が一人、息を潜めているのだ。
 暗闇なのにどうしてそんな様子が見えるのかと言われても、夢だからとしか答えようがない。
 女の子は十歳にもならないくらい。その当時の俺よりもほんの少しだけ幼かった。質素な着物を着ているが、その顔立ちには育ちの良さが感じられた。後になって習い覚えた表現を使うならば、高貴な姫君が身をやつしているといったところだろう。だから、その女の子を姫君と呼ぶことにする。
 姫君の周囲を見渡せば、所々抜けてしまった板張りの床があり、壊れた木仏が散らばっている。体を動かせば床が軋みを上げるから、姫君はじっと縮こまっている。しばらくしたら迎えに来るから、ここで静かにしているように、そう言われていたのだ。
 それでも暗闇の中に年端もいかない女の子が一人。心細さに身が震えるのは仕方がない。
 加えて、さっきまで遠くでは剣戟の音がひっきりなしに響いていた。それも次第に少なくなり、今はほとんど聞こえなくなっていたけれど、それはむしろ姫君にとっては不吉な予感を掻き立てるものだった。
 ざっ、ざっ。
 不意に草を踏み分ける音が聞こえたかと思うと、徐々に近づいてくる。隠れているようにと言って出て行った家人が戻ってきたのか、それとも……。
 やがて、お堂の戸が乱暴に開け放たれた。二本の松明の灯火に暗闇に慣れた目を射られ、姫君は咄嗟に顔を伏せる。
 松明の火が中の様子を探るようにゆらゆらと動いた。姫君が怖々と上目で窺うと、右手に松明、左手に大弓を携えた武士が二人、堂の中を窺っていた。武士たちが着ているのは赤糸縅(おどし)の大鎧。姫君は見覚えのないその姿に体を竦ませた。
 そのうち、武士の一人が姫の存在に気づいた。恐怖に戦く姫君の姿を前に、武士は表情を変えずにそっと目を閉じた。数瞬の後、再び開かれた武士の目には嗜虐も歓喜も憐憫もなく、あるのはただ、主の命を忠実に遂行する謹厳な眼差しだけだった。
 武士がお堂の中に足を踏み出すのを俺は見ていた。けれどもその場にいるわけではなかったから、姫を助けに飛び出すことはできなかった。
 いや、その場にいれば助けることができたのだろうか。相手は大人の、それも鎧と弓や刀を携えた武士。片や何の力もない子供だ。
 その女の子を助けられるだけの力が欲しい。その時の俺は心の底から願った。
 世界のどこかに、助けを求めている姫君が本当にいるのではないか。子供心にそんな気がしていた当時の俺は、すぐにそこへ飛んでいって女の子を救うヒーローになれたら、そう夢見た。

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背景画像:季節素材 夢幻華亭

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