ボン・ヴォワヤージュ!!


 横島忠夫は自分の耳を疑った。
 今、自分がいる場所は広々とした快適そうな空間で、目の前には事務机と呼ぶには少々立派な……そう、あえて言うならば執務机と呼んだ方がふさわしそうな木造りの机がある。
 彫刻まで入って豪勢な印象をいっそう強めているその物体の向こうには、これまた立派な椅子があり、ふかふかの心地よさそうなクッションは、この部屋の主人の軽やかな重みによって沈み込んでいる。
 そこに収まっているのは、一見この空間に場違いな和服姿の、しかしこれ以上ないくらいにぴったりの存在感を滲み出させている女性であった。歳の頃は自分の母親と同じか、少し上くらいであろうか。
 うちのおふくろと戦わせたらどっちが強いんだろうなあ……こんなことを考えているのはすでに現実逃避が始まっている証拠である。
 いかんいかん、このままではなし崩し的に話が決まってしまう。きちんと確認をしておかなければ。今の自分の困惑はすべて目の前の女性、六道理事長によって引き起こされたものなのだから。そうだ、きっぱりと言ってやれ。
「理事長、今何と仰いました?」
 自分で悲しくなってくるくらいに腰の低い口調である。きっぱりとなんて、言えるわけがない……。母親と強さを比較している時点で自分の力では負けが決まっているのだから。
「だから〜〜横島クンと鬼道クンに修学旅行の行き先を決めてもらいたいの〜〜」
 ニコニコと繰り返す理事長。さも当然のような口調だ。
 ……やはり聞き間違いではなかったようだ。
 それでも一応の抵抗は試みてみる。
「……俺、非常勤講師っスよ? そういう仕事は管轄外じゃないんですか?」
「大丈夫よ〜〜うちは私立だから〜〜」
 ……答えになっていない。
「それとも〜〜この際だから常勤になる〜〜? それなら問題ないでしょう〜〜? おばさん大歓迎よ〜〜♪」
 ……冗談ではない。
「いや……それは勘弁して欲しいかな、なんて。わかりました! やります、修学旅行の計画を立てればいいんでしょ!?」
「快く引き受けてくれて嬉しいわ〜〜。責任者は一応鬼道クンだから〜〜しっかり手伝ってあげてね〜〜」
 一応って……。鬼道も哀れな男だな、横島は自分の苦労を棚に上げて同僚を哀れむのであった。



「霊能科と普通科で行き先違うんだな」
 小会議室で鬼道が持ってきた資料に目を通しながら横島が言った。
「そうやな。霊能科は主要な霊的拠点の見学に行くことが多いし、場合によっては実習を兼ねとる場合もあるな」
「ふうん……じゃ、恐山なんてどうだ?」
「一昨年くらいに行ったらしいで。あそこはほとんど実習やったって」
 行ったのかよ。
「太宰府は? 篠栗(ささぐり)霊場なんてのも近くにあるし、いいんじゃないか?」
 道真公にはあまりいい思い出がないからできれば会いたくないのだが、そうそうほっつき歩いてもいるまい。まあ、実際には神様のほうにはお目にかかったことがないのだが。
「悪うないな」
 鬼道が頷きながらそう言ったその時だった。どこからともなく声が聞こえてきた。
『あら、出雲なんていかがですか?』
「だ、誰や?」
 鬼道は突然のことにきょろきょろと辺りを見回している。
「この声は……」
 横島にとってはよく知っている声であった。ただ、最近はすっかりご無沙汰している。
『横島さん、お久し振りですね』
「やっぱり小竜姫さま!」



『と言うことで、出雲には私の姉と兄が出向しているのです。よろしければ私から案内をお願いしておきますよ』
 小竜姫さまがそのように説明してくれた。
「あれ、でも竜神族って仏神じゃなかったんですか?」
「ええ、しかし、近年は交流が進んでいるのです。神道では竜神族は八岐大蛇のような暴れ者のことばかりが伝わっていますからね。出向先が出雲なのもその辺りを意識したのでしょう」
 ふうん、頷きながら横島は鬼道の方を振り返った。
「どう思う、鬼道?」
「ええんちゃうか。神様に案内してもらうんはちょっと恐れ多い気もするけどな」
 こうして、六道女学院高等部霊能科の修学旅行先は出雲に決まった。



 出発の日、東京駅。
 新幹線乗り場は制服姿の女子高生たちで賑わっていた。霊能科の生徒とてそこは年頃の少女。人数の二乗に比例すると言われるその姦しさも、旅行となれば普段の比ではない。
 高校生の頃ならこの集団に同行できることに涙を流して喜んだであろうが、引率という立場になってみると、その苦労がわかるというものだ。
「横島ク〜〜ン♪」
 ビクッ! こ、この声は……。
 恐る恐る振り返った横島の腕の中にふわりと白い人影が飛び込んできた。
 予想に違わぬ冥子ちゃんである。
「冥……六道理事。どうしてこんなところにいるんですか?」
「引率よ〜〜。よろしくね〜〜」
 謀ったな、理事長!
 はうう……冥子ちゃんってみかけより胸があるんや……ってそんなこと考えてる場合じゃない! ここをどこだと思っているんだ。新幹線乗り場のホーム。修学旅行の集合場所。周りには生徒たちがたくさんいるわけで、その中には当然……、
「横島先生、点呼をお願いしてもいいでしょうか?」
 どよよんとした空気をまき散らしながらおキヌちゃんが詰め寄ってくる。時々殺気のようなものを感じるのはきっと気のせい……ではないだろう。ち、違うぞ、おキヌちゃん、おれは無実だ! ……なんて言い訳は通用しないんだろうなあ。
 このままでは命に関わる。一刻も早く冥子ちゃんに離れてもらわないと……。
「り、理事、生徒たちが見てますよって、そないなこと……」
 鬼道がそう言って冥子を引き離そうとしてくれる。
 助かったぞ、鬼道。それでこそ我が心の友だ。そう言われて嬉しいのかどうかは知らないが……。
 ゾクッ! な、何か今悪寒が……。発信源は……鬼道、お前もか!
 こうして、場所をわきまえずにくっついてくる冥子ちゃんをどうにか振りほどこうとしつつ、背中には強烈なプレッシャーを叩きつけてくる夜叉と鬼を背負って、横島の不吉な修学旅行が始まった。
「横島さん、あたしたちより青春してるねえ……」
「女子高ですもの、私たちにそんなときめきなんて無縁ですわよ」
 魔理ちゃんに弓さん、冷静に楽しんでないで少しは助けて。



 最初の目的地である出雲大社についた一行を出迎えたのは二十代前半という外見の男性だった。もちろん、それが外見でしかないことはその雰囲気から明らかである。
 和装に赤い髪、そして頭に突き出した二本の角。間違いない、この人が……
「あんたが小竜姫さまの言っていた……」
『横島忠夫さんですね。私がこちらでガイドを努める中竜貴です。妹がいろいろとお世話になっているようで』
「お世話だなんてとんでもない! こっちこそ小竜姫さまにはお世話になりっぱなしで……」
  そこまで言ってふと違和感を感じた。外見的には中竜貴さまは小竜姫さまによく似ている。着ている服も似たような仕立てで、違いと言えば上衣が足下まで続く長い衣になっていることで、お世辞にも動きやすそうな服ではない。それに小竜姫さまが肌身はなさなかった神剣も佩いている様子がない。
「あの、中竜貴さまは剣術は……」
『あ、私は文官ですから。兄とは言え、戦えば小竜には適いませんよ』
『ほう、そなたが横島忠夫か』
 少し低めの落ち着きのある大人の女性の声が中竜貴さまの背後から聞こえてくる。
『姉の大竜姫です。こちらは妹と同じ武官ですよ』
 竜神族ってのは女性が武官になる一族なのか? ……まあ偶然だとは思うけど。
『ではそなたなのだな。小竜が心に決めた男と申すのは?』
 はい、と答えそうになってふと言葉の意味を考えてみる。だから返事には自然と疑問符がついた。
「はい?」
『屈辱は二度も言わぬ。よくも妹を誑かしおったな。そなたが相応しい男かどうか、確かめてくれるわ』
 そう告げる大竜姫さまの瞳には何やら危険な色がちらついている。
 と同時に。
 ピシッ! ガラスのコップにひびが入るような音を立てて後ろにいたおキヌちゃんと冥子ちゃんの額に青筋が走った。
「横島さん……」
「どういうことか〜〜説明してくれるわよね〜〜」
 ちょ、ちょっと待ってくれ! 誤解だってば! 小竜姫さまとは事務所の開業記念パーティ以来会ってないんだぞ?
「ちゅ、中竜貴さま〜〜」
『こうなった姉上は誰にも止められません。私は文官ですから、姉上に立ち向かえばただではすみません。申し訳ありませんが、ご自分で蒔いた種ですから』
 だから誤解なんだって〜〜!!
『覚悟はよいな、人間』
 そう言うや否や、大竜姫さまの体が神々しいまでの光に包まれる。やがてその光の向こうの姿が変貌を遂げていく。竜神本来の姿である、巨大な竜へと。
「いきなりそれか〜〜っ!!」
『今日の姉上はずいぶんと張り切っておいでですねえ』
「そ、そんな呑気なこと言ってないで! この辺り一帯が火の海になっちゃうんじゃないんですか!?」
『大丈夫です。一人前の竜神は自らの意志で変化できますし、変化しても理性を保つことができるのです。安心してください』
 つまり、その怒りは自分ひとりに集中的に注がれるってわけですか〜〜!!
「おキヌちゃん〜〜、冥子ちゃん〜〜」
 何とか言ってやってくれ、そう望みを託した。ふだん、学校では「氷室さん」「理事」と呼んでいるのだが、それすらも忘れるくらいに切羽詰まっている横島である。
「みなさん〜〜これから〜〜神様の怒りの静め方を見学してもらいます〜〜」
 め、冥子ちゃん〜〜! 俺は見せ物ですか!?
「で、でも失敗しちまったらどうするんだよ?」
 摩理ちゃんが心配そうに尋ねる。さすがは直弟子。師の身を案じてくれているんだな。
「その時は〜〜急いで逃げてください〜〜」
 フォローはなしですか!?
「おキヌちゃん、このままじゃ横島さん死んじゃうよ?」
 今度はおキヌちゃんの説得に移る摩理ちゃん。弟子の鏡だよ、君は。
「あんな人、知りません!」
 おキヌちゃん、俺が一体何をしましたか!?
『何をつべこべ言っておる!?』
 大竜姫さまの声が辺りに轟く。
「そんな、声まで変わって……」
 なんて古いネタを使っている場合ではなかった。すぐに大竜姫さまが大きな口を開けて迫ってくる。
 巻き添えが大勢出そうなので、取りあえず横島は横に転がりながら生徒たちの元を離れた。大竜姫さまは巨体に似合わぬ反応で横島の動きを追う。
 すぐさま立ち上がった横島は、目前に迫る大竜姫を正面から見据えた。
「そうだ……こういう時は体術の基本を!!」
 横島は精神を統一し、大竜姫を迎え撃とうと身構えた。
「だあああっ、やっぱダメだあああっ!! だいたいこれは『GS美神』だぞ!? そういう二次創作が多いからすっかり忘れていたけど、もともと格闘漫画じゃないんだぞ!?」
 そう言って逃げに移る横島。
『逃げるとは見苦しいッ!!』
 大竜姫さまは一声吠えると紅蓮の炎を吐き出した。炎は一直線に横島の退路を目がけて襲いかかる。
「きゃああああっ!! 横島さあああんっ!!」
 さすがにおキヌちゃんが悲鳴を上げる。
 しかし無情の炎はそのまま横島を飲み込んでしまった……かと思われたその時、眩い光と共に炎が弾かれた。
「ふうっ、危機一髪……」
 横島の手には光り輝く文珠があった。その中央には『凍』の一文字が刻まれている。相変わらず軽い口調の割に表情は辛そうだ。
『へえ、なかなかやりますね、あの方』
 中竜貴さまが驚いたように呟く。感心している暇があったら助けてくれと言いたい横島である。
 大竜姫さまも少し驚いた様子で、首を持ち上げて横島を見下ろした。
『それが小竜の言っておった文珠かえ。さてはそれを使って妹を誑かしたのじゃな!』
 ああ、お願いだからこれ以上誤解を招くようなことを言わないでください、大竜姫さま。
 案の定、生徒たちの群れからふたつの強烈なプレッシャーが叩きつけられる。
『もてる男は大変ですね、横島さん』
 中竜貴さまが笑いながらそう言った。
 俺はもてたことなんてあらへんぞ!! そう叫びたい気がしないでもなかったが、さすがに最近の状況として、少なくともおキヌちゃんと冥子ちゃんのことだけは否定できない。小竜姫さまは誤解だとしても……。
『では色男さんにアドバイスを差し上げましょう。竜変化した竜神の弱点は共通です。どこだかは……わかりますね?』
 竜神の弱点。以前、小竜姫さまの逆鱗に触れた時に鬼門の指示で攻撃した場所。忘れるわけもない。
「思い出しただけでたん瘤出てきそうだ……」
 横島は額をさすりながら呟いた。
 そう、あの時は自分のシャドーが鬼門の術で矢に変えられ、小竜姫さまの眉間を射抜いたのである。
「んなこと言ったって、俺は弓なんて持ってないし……」
 持ってても使いこなせるとも思えない。
『仕方ありませんね。少しだけ手助けいたしましょう。こちらへ』
 中竜貴さまが手招きするままに横島は駆け寄った。中竜貴さまは横島の頭に手を起きながら言う。
『あなたのシャドーを呼び出します』
「ちょ、ちょっと待って、俺のシャドーは……」
 あんなもん役に立つかいっ!! そう叫びそうになる横島だが……。
 バシュッ!! 光と共に浮かび上がったのは、八頭身の美しい姿のシャドーだった。絣の着物を着て、頭に道化師のような帽子をかぶり、顔にこれまた道化師の化粧のようなラインがあるあたり、以前のシャドーの面影は残しているが、その存在感はまったくの別物である。「見学」している生徒たちも感嘆の声を漏らしている。
「こ、これが俺のシャドー……」
『人は成長するものですよ、横島さん』
 中竜貴さまが微笑みながら言う。
 と、シャドーは横島のほうを見下ろして口を開いた。
『よ、あんさん、ずいぶん久し振りでんなあ……』
「……ちっとも変わっていない気が」
『性格はなかなか変わらないものです』
 中竜貴さまが苦笑いをしながらフォローする。
『それにしても、自我を持ってしゃべるシャドーというのも希有な存在です。横島さん、あなたは思った以上に興味深い……と忘れていました』
 中竜貴さまはシャドーの扇子に術をかけ、弓に変化させた。
『あ、わての扇子に何すんねん!?』
 シャドーが抗議の声を上げるが、横島が押しとどめる。
「黙ってろ!」
『あとは矢ですが、文珠の力があればどうにか作り出すことができるでしょう』
『中竜、余計な真似を!』
 上空の巨竜が鋭い声で叫ぶ。
『これも彼の実力ですよ。私はきっかけを与えたに過ぎません』
 中竜貴さまが凛とした声で叫び返した。
『気をつけて。姉上は竜変化すると我を忘れる小竜とは違います。易々と眉間を射ることができるとは思わぬことです』
「中竜貴さま……」
 横島はじっと見つめ返しながら言った。
「もしかして小竜姫さまのことが誤解だってわかってません?」
 ぎくっ! 中竜貴さまの顔は一瞬、間違いなく強ばった。
『き、気のせいですよ。早く姉上のところへ』
 ……何か納得が行かない、自分は意図的に戦わされているのではないだろうか?
「これ以上戦闘シーンを続けると作者の気力が保たないからな。そろそろ終わりにしないと」
『大した描写もないくせに大仰なことを』
 ああ、お願いだからふたりとも勘弁してください……。
 さて、横島のシャドーは上空を漂う大竜姫へと目がけてまっすぐに飛んでいった。
『ほう、飛べるシャドーもそうはいませんね。常識にとらわれない軽い心を持っているということですか』
 中竜貴さまがまたしても感心したように呟く。前半はともかく後半は……誉められているのだろうか?
 何はともあれ、情けなさが先立って見過ごされていた感はあるが、実は以前の妙神山の時も横島のシャドーはきっちり浮いていた。以前より立派になったシャドーだからその飛行力もアップしているようだ。
『ふ、面白い。空で妾(わらわ)とやり合うか』
 シャドーは弓をつがえると文珠の『矢』を構え、放った。
『狙いが甘いわ』
 大竜姫は空中で回避行動を取り、『矢』はその横を通り抜けていく。そのままシャドーを炎の餌食にしてやろうとしたその刹那だった。
 右側に気配を感じて振り仰ぐが、太陽の光を正面から受け、思わず目をつぶった。
 その太陽の中に人影が見える。その右手が文珠特有の輝きを帯びた。
「俺のこの手が真っ赤に燃える!!」
 ああ、パクリはやめて。
「……食らえ、必殺! ライ●ング・アローっ!!」
 いや、それキャラが違うから。
 横島は『矢』の文珠を右手に輝かせたまま大竜姫へ向かって落下し、その眉間に『矢』を突き立てた。



『ふ、やるではないか。妾はもう何も言わぬ。小竜姫が夢中になるだけのことはあるわ』
 人型に戻った大竜姫さまが頭に濡れタオルを当てながらそう言った。
 取りあえず生きて帰れてホッとしたものの、おキヌちゃんたちの視線が相変わらず痛い……。
「だから、そんなんじゃなくて俺は小竜姫さまの……」
『弟子、でしょう』
 中竜貴さまが言葉を割り込んだ。
『小竜はまだまだ修業のことしか考えておりませんよ。横島さんの話もよく聞きますが、GSの免許を取っただの、霊波刀を出しただの文珠を修得しただのと、そういった話ばかりです。いつも言っています。自分の見立ては間違っていなかったと。あれはとても恋する女の目ではありませんね。姉上はその辺り、早合点をなさるものだから』
 ニコニコ笑いながら静かに語る中竜貴さま。
 と、いうことは……。
「やっぱり誤解だってわかってたんじゃないですか、中竜貴さま! どうして止めてくれなかったんですか!?」
『申し上げたはずですよ。ああなった姉上は誰にも止められないと。私だって命は惜しいですから。それに……』
 といったん言葉を切って中竜貴さまは端にいる生徒たちを示しながら言った。
『生徒さんたちにいいものを見せてあげられたでしょう。あんなもの、めったに見られるものではありませんよ。せっかく出雲まで来たのですし』
 確信犯……! 中竜貴さま、三姉弟の中で一番質(たち)が悪いかもしれない。
『姉上も姉上です。小竜のことになるとすぐにカッとなるのですから。妹の心配をする前にご自分の心配をなさってはいかがですか』
 ピクッ、大竜姫さまの額に青筋が走る。大竜姫さまはそのままゆらりと立ち上がる。
『今、何と言った?』
 中竜貴さまの顔に明らかな焦りが浮かんだ。それまでの余裕はどこへやら、額に脂汗がじっとりと滲んでいる。
『よくも姉に向かって「行き遅れの年増蛇女」などと言えたものだな』
 ……中竜貴さまもそこまでは言ってません。
『その性根、叩き直してくれる! そこに直れ!!』
 そう言うや大竜姫さまは神剣を抜き放って中竜貴さまに襲いかかった。たちまち中竜貴さまは泡を食って逃げ出した。
『あ、姉上、どうかご容赦を!!』
『いや、許さぬ。今日という今日は許さぬぞ!!』
 どこか既視感のあるあの情景。しかし、今の横島に助けに入る余力はなかった。……助ける気にもならなかったが。



 その日の夜。
 六道女学院御一行さまが宿泊するホテルの廊下を静かに歩む人影があった。物音を立てないように、慎重に慎重に生徒たちの眠る部屋の前を通り過ぎていく。
 目指す部屋は次の階段を上って四階の突き当たり。
 辺りをきょろきょろと見回しながら階段を上っていく。不審なことこの上ない。一般客に見られでもしたら通報されたかもしれない。いや、六女関係者に見られたとすれば別の意味でヤバいのだが。
「こんな時間にどこに行くの〜〜?」
 間延びした声が階段の下から聞こえてきた。
 人影はビクっと跳ね上がり、ゆっくりと振り返った。
「あの……ちょ、ちょっとお手洗いに」
「お手洗いならお部屋にあるでしょう〜〜? それに階段を使わなくても各フロアにちゃんとあるわよ〜〜、おキヌちゃん」
 振り返った人物、氷室キヌは困惑した表情で階下にいる女性、冥子さんを見下ろした。
「そ、そういう冥子さんこそどこへ行くんですか!?」
 できるだけ声を上げないようにしながら苦し紛れに問い返す。やけである。何しろ相手は一応引率者。見回りとでも言われれば一言で片がつく。
「私は〜〜横島クンに会いに行くの〜〜♪」
 冥子さん……どこまでも正直者だ。
 と、そんなことを感心している場合ではない。さすがに今の言葉は聞き捨てならないではないか。
「い、引率者がそんなことしていいと思ってるんですか?」
 しかし、冥子さんはあっけらかんとしたものである。
「あら〜〜先生がトランプで遊んじゃいけないなんて誰が決めたの〜〜」
「はい?」
 トランプ? ……はあ、この人の精神年令って。
「そういうことは鬼道先生とやってください!」
「だって〜〜横島クンがいいんだもの〜〜」
 やっぱりこの人は敵よ。おキヌは認識を新たにする。
 しかし……この状況はまずい。ボケていても相手は引率者。自分は一介の生徒。部屋に戻れと言われてしまえばどうすることもできない。
「仕方ないわね〜〜。じゃあおキヌちゃんも一緒に行きましょう〜〜」
 脱力。わざとなのだろうか?
「そ、そうですか……」
 じゃあ、お言葉に甘えて、といった感じで冥子さんのあとについていくおキヌ。
 あれ、何か違う気がする、そんな気がしながらも、結局は冥子さんと同じようにボケているおキヌだった。



 横島さんの部屋の前。
 おキヌはドキドキと胸を高鳴らせている。冥子さんが現われた時点で甘いひとときは露と消え去ったにしても、そこはやはり横島さんの部屋。いくらすでに同棲している仲だとしても、こういうシチュエーションは新鮮なものだ。愛子さんの言葉を借りるなら「青春」である。
 そんな緊張感とは無縁そうな冥子さんは、無造作にドアをノックしようとした。
 その時、ドアの向こうから話し声が聞こえてきたのである。
『姉上はあんなだから、いつまで経っても自分の相手が見つからないんですよ。ちょっと前まで修業修業ってそればかり。やっとその熱が収まったかと思うと今度は小竜の心配ばかりして。僕は小竜が姉上のようになりはしないかとそればかりが気がかりで……』
 え、この声って中竜貴さま?
「でもそういう中竜貴さま自身はどうなんですか?」
 鬼道先生まで!?
『小竜が気がかりでなかなかそんな気にはなりませんねえ』
 大竜姫さまと全然変わらないじゃないですか!?
『それに、ここは若い女性神も少ないですからねえ。年期の入った方ばかりなんですよ。竜神王陛下の宮殿にいた頃はきれいな女性ばかりでよかったなあ……』
「竜神王のお城って、そんなに美人の女神さまたちがたくさんいるんスか!? ああ、それは一度ぜひ行ってみたいなあ……」
 その言葉が聞こえた途端、おキヌと冥子さんはほぼ同時にドアノブを掴むと思いっきり押し開けていた。鍵? そのようなものは気合いである。
「私というものがありながらっ!!」
 そして完璧に揃ったユニゾン。
「どわあああっ、おキヌちゃんに冥子ちゃん!!」
 修羅さながらに立ちふさがるふたりの前に、横島さんは慌てふためいている。
「ちょっと待ってください! 私はともかく、冥子さんには関係ないでしょう!?」
「おキヌちゃんこそ〜〜横島クンは私のなの〜〜」
 仲良くユニゾンを決めたかと思えばたちまち言い争いを始めるふたり。相変わらずである。
「と、取りあえずドアを閉めとこか。お客さんの迷惑やし」
 鬼道先生が冷静に対処する。
『おやおや、横島さん、楽しそうですねえ』
 中竜貴さまは完全に他人事を決め込んで楽しんでいる。
『お主も先ほど楽しいことを言っていたようだがの?』
 不意に虚空から聞こえる声。中竜貴さまは氷のように固まってしまった。
『妾もその話をゆっくりと聞かせてもらうとしようかの』
 突然現われた大竜姫さまは中竜貴さまの首を掴むと、再びふわりと姿を消してしまった。中竜貴さまと一緒に。
 あとには、口論を続けるふたりの女性となだめようとする男がひとり、そして部屋の片隅でいじけている男がひとり、残された。



「で、結局は騒ぎ疲れて眠っちまったわけだ」
 横島は目の前で頭を合わせて眠るふたりの女性を呆れたように眺めながら呟いた。
 念のため言っておくと文珠で眠らせたとか、そういう人為的なことは何もしていない。ひたすら言い争った末、ダブルノックアウトというわけである。
「横島クン、ええ加減にはっきりさせんと氷室も怒るで」
 現実逃避から戻ってきたらしい鬼道が言う。
「わかっちゃいるんだけど……。冥子ちゃんにもあれだけまっすぐ迫られるとな。鬼道、お前が何とかしてくれよ」
 たちまち真っ赤に染まる鬼道。わかりやすい男である。
「な、そ、そんな、ボクが何とかって言うても……」
 横島はそんな様子をみてクスリと笑うと、悪戯っぽく言った。
「取りあえず、冥子ちゃんを部屋に連れて帰ってやってくれや」
 目に見えて狼狽する鬼道。からかい甲斐のある男である。
「ボ、ボクが!? そないなこと……」
「じゃあ俺が連れて行ってもいいのか?」
「あ、あかん、それはあかん! ……あ」
 更に赤みを増す鬼道の顔に、横島は堪えきれなくなって吹き出した。
「ぷっ、ははは。わかりやすいよな、鬼道は」
 そう言って眠るふたりを振り返った。
「こうして寝てると、仲のいい友だちにしか見えないんだけどなあ……」
「そうやな」



「くれぐれも言っとくが、寝込みを襲うのはやめとけよ」
 冥子ちゃんをおぶった鬼道に横島が声をかける。
「君にだけは言われたないわ。横島クンこそ、氷室を襲うんやないで」
「お、こう見えても無抵抗な人間にセクハラはしない主義なんだぜ」
 そんな会話を交わした後、鬼道は眠る冥子ちゃんをおぶったまま部屋を出ていった。
 残された横島は壁に寄り掛かって眠っているおキヌちゃんをそっと抱きかかえるとベッドに運び、毛布をかけてやった。
「そんなに心配しなくてもさ……」
 優しい口調で語りかけるように横島が呟いた。が、不意にその表情が変わる。
「ちょっと待て。このままここに寝かしてたらあかんやろ。朝になって部屋にいなかったらおかしい。この部屋で寝てるのはもっとおかしい。かといってこのまま部屋に連れていくのもおかしいし。起こして帰らせればいいんだろうけど……」
 そこまで言っておキヌの寝顔をちらりと一瞥し、溜息をついた。
「こんなに気持ちよさそうに眠ってるのを起こすのもなあ……」
 こうして、横島の苦悩の夜は更けていくのであった。

Index

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